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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

質問:村上隆のすごさを教えてください。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=884297
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=674505
 村上隆の作品を理解するにあたって「芸術なんて何かを感じられればそれでヨシ!」みたいな話をしていたみたいです。芸術学部を卒業した人ですらそういうことを平気で言えるのだなあ、と思ってちょっとビックリしました。
 もちろん、最終的には何かを感じ、主体的に判断するしかありません(そもそも「感じる」こと自体主体的な行為だと思うし)。ですが20世紀以降のアートを理解するためには、それこそ「理解する」という客観的な行為が必要になってくると思います。それなのに「好きか嫌いかでいいんジャネーノ?」という返答だけで済ませるのは、ちょっとどうかと思います。個人的には上のリンクの最初の返答をしたplaymobilさんの見解がなかなか的を獲ているように思います。
 どんなに簡単なゲームでもコントローラーの使い方が分からないとプレイできないのと同様、芸術・アートを楽しむためにはそれ用の楽しみ方を知らないといけない、というのが私の意見です。日本では何故か「アート=芸術=肌で感じ(られ)るもの」という考え方が一般的なようです。が、例えばイギリスの上流階級は子供にその「芸術・アートを楽しむスキル」をちゃんと1から教育しているのだそうです(何故かというと、芸術・アートを理解できることが社会的ステータスになるから)。確かに日本人の多くは義務教育という優れた教育を受けていますが、だからといってみんながみんなアートをたしなんでいるとは言えないと思います。特に村上隆のコンセプトはアートの発展的な議論の上に成立しているものなので、門外漢が見て価値をはかるのは難しいと思われます。例えるなら『神聖モテモテ王国』『かってに改造』『魔方陣グルグル』などのパロディ漫画を理解するためには、日本のオタク文化について広く知っている必要があるのと同様だと思います。
 もちろん上記の手続き(?)は理解するためのものであって、ただ感じて楽しむのには知識などは必要ありません。アートにしろパロディ漫画にしろ、「なんかキレイだな」「なんとなく好きかも」というふうに楽しむのであれば、理解など必要ないと思います。作品を作っている人はそういうふうにも楽しめるように作っている場合が多いと思いますし。


 余談ですが、芸術とアート、芸術家とアーティストという語はそれぞれ微妙にニュアンスが違うな、と再認識しました。難しい問題です。あと、いしじまえいわは芸術学部を卒業しているとか、そういう資格も資質もまったく持っていません。あしからず。