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027『天気の子』(2019)メッセージ性がよかった話とセカイ系じゃなかった話。

 

お久しぶりです。2006年のスタート以降、数年間放置していたこの映画レビューコーナーをいまさら更新することに意味があるのか? という思いもあるのですが、さっき新海誠監督の『天気の子』を見てきて興奮冷めやらないので、その勢いで感想を書くことにします。個人的には良作でした。

 

☆☆☆☆

以下、ネタバレ全開です。これから見に行く予定の方は、見終わった後にお読みください。

 

 

良かったといっても、全体的に良かったとか映画としての完成度が高く感じられたというのとは少し違います。映画的な完成度というかゴージャス感、ザ・ヒット作感に関しては『君の名は。』の方が上のように感じられました。

 

個人的に特に良かったと思ったのはピンポイントで、作品の持つメッセージ性の部分です。なので、映像の良さとか音楽の良さとかキャラクターの良さとかは一旦横に置いて(これらも良かったんだけど)、メッセージ性の部分にフォーカスして、以下書き記したいと思います。

 

本作では最終盤に主人公が「ヒロインか世界か?」という選択でヒロインを選び、その代償として東京水没という大きなカタストロフを招きます。そして水没した街は特に救われることもなく、そのまま物語は終わってしまいます。

ネット上ではこの展開を指してセカイ系の再来だとか議論を生む展開だとかと言われていますし、事実私もそういった話題にいっちょ噛みしたくて惹かれて映画を見に行ったというところもあります。

そしてパンフレットによると、新海監督自身も「『君の名は。』で怒った人をもっと怒らせるような映画」と語っています。

 

 

で、個人的にはこの展開、全然アリだったというか、むしろこうじゃないとダメでしょ、と思ったんですね。

というのも、これは監督がメインターゲットである10代の少年少女に対して「自分にとっていちばん大事なもののためなら何を捨てても構いません」というメッセージを贈るのか、「世界や他人の迷惑のためなら、自分のいちばん大事なものでも捨てなさい」というメッセージを贈るのか、どっちなの? という話です。

「あなたにとって大事なものを大事にしなさい」という方がどう考えてもまともだし、実際この映画自体も少年少女の側に立って彼らをエンパワーメントするものになっています。ここがとてもいいなと思った点です。新海監督は本当に若い人のことを考えてるなあと思ったし、実際パンフにもそれに近い事が書いてありました。

 

一方で、「他人のことを考えない無責任さが肯定されている」「主人公は家出・発砲・公務執行妨害などなど悪いことばかりしていて、それが無責任に(以下略)」という意見もあります。

 

いやいや待ってくださいよ。そう言うあなたが10代の少年少女だったら、そういう意見でもいいと思います。でもね、ハタチも超えた大人ならそんなことを言ってはいけません。

何故かって? そりゃあ、彼ら未成年者に自己責任論は適用できないからです。何で適用できないのか? 彼らは本来両親や社会から守られるべき未成年者であり、自分で責任が取れないからこそ、エロ本も買えないし政治にも参加できないし結婚もできないからです。権利が制限されているのにマズいことした時だけ自己責任というのは大人の都合のいい言い分です。エマ中尉なら「大人と子供を使い分けるな!」とキレるところです。

そして、未成年者を正しく導くのは彼ら自身の責任ではなく、親や周りの大人達の責任です。「主人公は無責任だ!」という大人たちの方が、若者を導くという大人の責任から逃げている無責任者なのです。

 

実際、新海監督は主人公たちに反社会的な無茶ばかりさせていますが、一方で刑事や須賀さんなど周りの大人には彼を止めようとしたりぶん殴ったりさせてもいます。監督は「大事なもののために無茶やれよ。でも俺たち大人は止めるぜ? でもやれよ。責任は俺ら大人が取るからさ」と言っているわけです。

 

無茶やっていい。好きな子のために何を犠牲にしてもいい。自分の気持のままに素直に生きていい。大勢の他人に迷惑をかけてもいい。何をやったとしてもお前の責任じゃないよ。気にするなよ。というのは、今を生きる若者に対してとても真摯で大人なメッセージだなあと思います。実際終盤で須賀さんがそんなことを言っていたので、多分これは本作のメインメッセージだと思います。

この現代を生きる若者にマッチしたメッセージ性が、とてもよいなと私は思うのです。

 

愛にできることはまだあるかい

愛にできることはまだあるかい

 

RADWIMPSさんの主題歌「愛にできることはまだあるかい」も、曲タイトルを歌で何度も何度も繰り返しますが、映画の最後の最後に「愛にできることはまだあるよ」「僕にできることはまだあるよ」というメッセージに変わります。これもグッときましたね。若者への素敵な全肯定でありエンパワーメントです。

 

ちなみに、本作で「選ばれなかった世界は滅びた」みたいに言う人がいますが、これも正確には違います。確かに東京は水浸しになったけど、人間も東京という街もそれなりにやっている姿が終盤に描かれているからです。

私としてはここもいい意味で結構ショックでした。つまり、世界かヒロインか? という単純な二択はそもそも存在せず、世界はそう簡単に滅びない。世界は結構しぶといのです。

ここも「あれができなきゃ終わりだ」「世界はおしまいだ」と絶望しがちな少年少女に対して「結構なことやらかしても、結構どうにかなるもんだぜ」と言っているようで、とても気持ちが良かったです。

 

そういう意味で、本作がセカイ系と呼ばれるタイプの物語かというと、私はそうは感じませんでした。監督はパンフレットで「この物語は帆高と社会全体が対立する話」と言っていて、この社会全体というのは前述の大人たちだったり社会全体の幸福のことだったりするのだと思うのですが、結局帆高と社会はケンカしつつもそれなりにうまくやっていくし、単純にどっちかが滅びてカタがついたりもしないのです。

 

私はセカイ系の系譜は『涼宮ハルヒの憂鬱』で終わったと考えていて、それだけに本作がセカイ系だと聞き「何で終わったことを今更…」と思いながら見に行ったのですが、実際には本作はセカイ系よりももっと進んだテーマを扱っている作品のように思えました。

 

以上です。

最後に『君の名は。』も『天気の子』もいい作品だったので、新海誠監督には今後も3年に1本のペースでこういう作品を若者に向けて作ってほしいなと思いました。

 

(おわりです)