LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

『さよなら絵梨』思ったことのメモと感想。

shonenjumpplus.com

 

漫画アプリ「ジャンプ+」で話題の漫画『さよなら絵梨』を読みました。お話のギミックとして気付いたことがいくつかあったのでそれをメモしようと思います。2度ほど読んだだけで気付いていないことや誤読があるかもですがご了承ください。

また、完全ネタバレ前提なので、ネタバレOKな方のみ先にお進みください。上記リンクから無料で読めますので(2022年4月12日現在)、気になる方は実際に漫画を読んでもらった方がいいかもです。

 

それではレッツゴー。

 

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『鬼滅』や『エヴァ』の主人公が子供である理由の所感(子供はマイノリティだという話)。

掲題の通り『鬼滅』や『エヴァ』など、アニメや漫画の主人公がしばしば子供である理由についての個人的な考えのまとめです。

 

一番の理由はやはりメインの受け手である子供が共感し作品に没入しやすいのが子供主人公だから、でしょう。

 

北斗の拳』や『シティーハンター』のように主人公が大人である場合は「こういう大人になりたい」「こうありたい」という憧れの気持ちを喚起するのが作品の軸になります。だから彼らは強くてカッコイイわけで、情けない大人が主人公という作品は稀です。

ただ、この種の作品は最近はあまり流行らないようです。情報化によってカッコイイ大人の存在が、ある意味で殺人拳の使い手や殺し屋の存在以上にファンタジー的に思えてしまうからかもしれません。

 

憧れタイプと同じく作品の訴求力になるのが共感タイプの主人公です。シンジくんも炭治郎もこっちです。彼らが悩み苦しむ姿に、受け手である子供たちは意識するにせよしないにせよ感情移入し引き寄せられてしまうんですね(なお、『エヴァ』と『鬼滅』とでは発表された時期が20年も違うので同列に語ることには危うさもあるのですが、その辺は今回は割愛します)。そして共感を訴求するのであれば主人公の年齢も受け手に近い方がいいわけです。

 

多くのアニメや漫画が、上述の憧れタイプか共感タイプかに分類できると思われます。なお、大人が主人公でかつ共感が非常に困難なタイプの『マクロス7』みたいな作品は例外なので今回は黙殺してください(※名作です)。

 

で、ここで別の観点での議論が立ち上がります。たとえば

 

「子供以外にも受け手はたくさんいるからそこに向けなくていいのでは?」

「子供が残酷な目に遭う作品を大人が出すことで肯定していいのか?」

 

みたいなやつです。以下、それらについて考えてみます。

 

  • 「子供以外にも受け手はたくさんいるからそこに向けなくていいのでは?」

 『エヴァ』は元々夕方放送のアニメ番組ですし『鬼滅』は少年誌連載の漫画です。どちらも出どころが子供向けの専門メディアなのですから、作品自体も子供向けなのは当り前です。「いやいや最近は大人も漫画やアニメを見るでしょ」と思われる方もいるかもしれませんが、じゃあ今ジャンプ編集部に「この作品は大人向けです」でネームが通るか? という話です。まず通りません。そんなに甘くはありません。

エヴァ』の場合も、放送当時は子供(ティーンエイジャー)向け訴求する(ように見える)企画だから夕方の放送帯を取れたのでしょう。当時のTVアニメの企画ではそれが前提でした。大人にもヒットしたのは結果論です。

新劇場版シリーズについては映画ですので子供向けである必要も主人公が子供である必要も本来ありませんが、じゃあシリーズに慣れ親しんだ大人のファンたちが「今回は映画なので大人を主人公に替えます」と言われて納得するか? と言われると、なぜわざわざ替えたの? という話になるでしょう。メリットが見いだせません。また主人公を大人にすることにより共感を引き出せるかというとそういうわけでもありません(理由は後述します)。

 

なお、現在のアニメシーンであれば放送帯が深夜が中心なので子供を主人公にする必要は以前に比べれば希薄です。90年代に比べれば大人が主人公のアニメも比較的多いのではないでしょうか?

ただ、先に述べた通り現在は「憧れ」より「共感」の方が訴求力が強いので、その面でも大人よりも子供を主人公にする方が妥当性が高い場合が多いでしょう。何故なら人は大人になるにしたがって個々人が得る経験が多様化していきますので、人生経験が少ない少年期の子供を主人公とした方が、誰もが共感する人物を描きやすいからです。

もうちょっと分かりやすく言うと、たとえば日本では多くの人が中学や高校に通うまたは通った経験があるので、高校生や中学生の主人公は多くの子供にも大人にも共感しやすいと考えられます。大学生とか社会人になると子供には想像し難く、大人でも「俺はそういう経験ないなあ」というケースが増えてしまい、共感を描きにくいのです。このたとえは所属に関するものですが、他にも少年期や思春期に考えそうなこと――大人や社会への不満であったり家族との軋轢だったり恋の悩みであったり――なども同様です。誰もが通る道だからこそ共感しやすいのです。

もちろん、共感以外の部分が作品の軸であれば大人主人公でも全然問題ないのですが、その軸を取るために共感による訴求という大きなメリットをわざわざ捨てる必要があるのか? という話になります。先に挙げた『マクロス7』なんかは明確に作品の軸のために主人公の共感要素を廃しています(特に序盤)。

 

  • 「子供が残酷な目に遭う作品を大人が出すことで肯定していいのか?」

こっちは倫理的な話です。こういうことを言う人が見落としているのは、主な受け手たる子供にとって『エヴァ』や『鬼滅』の残酷な設定はリアルであり共感しやすいのだということです。

「エイリアンや鬼と命懸けで戦わされることがリアルか?」という人は、子供たちが日々命懸けで生きていることを幸運なことに知らないか、もしくは忘れているのだと思われます。

 

子供から見た世界は残酷です。暴力も暴言もあけすけないじめも日常茶飯事だし、大人はそれに真摯に向き合いません(以下、具体的なことを一度つらつらと書いたのですが、滅入ったので割愛しました。気になる方は日々のニュースを見てください)。子供を戦闘に駆り出すネルフや鬼殺隊は異常者の集まりのようにも思えますし実際作中で自己言及されていたりもしますが、現実だって相当異常です。「生きるか死ぬかの状況」「子供を残酷な目に遭わせる大人」という存在は子供にとってリアルで共感できるのです。

また、子供はそういった異常性に対してあまりに無力です。マジョリティに属する大人は仕事が嫌なら辞めることができますし、再就職もできます。コミュニティも自分で選べますし、お金の使い方も自由です。選挙に参加でき、結婚も自分の意志でできます。

子供はそれがらできないか、大人に比べて選択の幅が非常に狭く、相対的に不自由です。シンジくんや炭治郎は子供で自由がないからこそ、見る子供にとってリアリティがあるのです。

この辺りのことは、子供は社会的マイノリティ(弱者)であるという認識が無い人にはピンと来ないかもしれません。また本題からは離れますが、子供でなく大人であってもマイノリティに属する人にとっても、過酷な設定は同じ理由で共感を得やすいでしょう。

 

『鬼滅』も『エヴァ』も子供たちが悲惨な目に遭いますが、別に子供たちが悲惨な目に遭うのが面白いからではなく、実際にひどい目に遭ってるからそれを抽象的に使徒や鬼との戦闘という形で表現しているにすぎません。

また、子どもの虐待を作品テーマとして肯定しているわけでもなく、主題はそういった状況に主人公たちが何を考えどう立ち向かうのか? という点の方です。実際に作り手が何を考えていたのかは私には知る術はなく、無意識に関わることなら本人にも分からないかもしれませんが、少なくとも『鬼滅』や『エヴァ』がヒットした要因の一つは、過酷な設定だからこそ共感できることだと思います。そしてそれは子供を危険な現実に巻き込むことではなく、実際現実を命懸けで生きている子供たちに寄り添い励ますことです。

 

 

なお、当然ですが暴力的な作品が無くなれば現実から暴力が無くなるわけではありません。逆に『鬼滅』や『エヴァ』を発端とした暴力やいじめに遭う人もいるでしょう。私は実際『鬼滅』で生物学的に殺された人を知っています。ですが、それより両作品に勇気付けられ生きていく糧になったという人の方が多いものと思われます。

『鬼滅』や『エヴァ』が倫理的に真っ白だとは思いませんが、多くの人に影響を与える作品は真っ白じゃないからこそ成立するのだと私は思います。

「こんなことあってはならない」「こうあるべきだ」一辺倒ではマイノリティに寄りそう作品は作れません。そして倫理的に正しくない要素を含む作品も発表でき、見ることができる環境こそが健全だと言えるのではないでしょうか。

 

 (おわりです)

 

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京都アニメ―ションの動画マン・石田敦志さんについての会見ログ(産経ニュース記事全文)。

2019年7月18日に京都アニメーションで起きた放火殺人で亡くなった動画マンの石田敦志さんのお父様が、同年8月27日に記者会見を行いました。石田敦志さんが生きた証を残したいという思いで、お辛い中記者会見に臨まれたということです。

 

石田敦志さんのお父様の会見に感銘を受けたので、少しでも先の未来の人にも石田敦志さんのことを知ってもらえるよう、ここに記者会見の記事全文をコピーして残しておきたいと思います。

 

~~~

記事本文の前に、なぜ産経新聞のサイトの記事全文をコピーするのかについて書いておきます。それは、ニュースメディアの記事はずっと残っているという保証がないからです。

 

たとえば、今、産経新聞で「同時多発テロ」で検索すると1606件ヒットし、検索結果の最終ページ最下段に表示されるのは2015年11月27日の下記の記事になっています。

www.sankei.com

 

一応画像でも残しておきます。

f:id:ishijimaeiwa:20190830105049p:plain

 

同じく朝日新聞のサイトの場合では1479件ヒットし、最終ページ最下段の記事は2014年9月2日のこちらです。

www.asahi.com

 

f:id:ishijimaeiwa:20190830104648p:plain

産経新聞のサイトは1000件以上の検索結果は表示されないそうなので、検索結果にでないだけでサイト内のどこかには他の記事がもう600件くらいは残っているはずです。ただし、どちらの場合も2001年にアメリカで起きた同時多発テロの当時の記事にすら到達できないのです。

これは、新聞社のサイトは「新聞が主・サイト掲載はおまけ」と考えており、掲載した記事を過去のものから随時消しているためだと思われます(私が知らないだけでそうでない新聞サイトもあるのかもしれません)。これではネット上に石田敦志さんのことを永く記録し、未来の人に伝えることが出来ません。

というわけで、別途私のこのブログに全文をコピーしておくことにしたのでした。

もちろんこのブログも未来永劫あるわけでは全然ありませんが、一応2005年から残っているサイトではあるので、これでも新聞社のサイトよりは情報が残る信頼性において若干マシです。他のもっと信頼できるサイトさんが残してくださるのでしたら、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

なお全文コピーは著作権法違反ですので、著作権者である石田基志さん(石田敦志さんのお父様)からご指摘があった場合は速やかに記事削除します。その際はお手数ですがご一報をくださいませ。

著作権親告罪ですので、石田基志さん以外からの申し出は受け付けません。該当の記事は記者会見の書き起こしであり「記者の思想や感情が表現された著作物」ではないため、記者や産経新聞にも著作権はありません。その点ご了承ください。

~~~

 

 

《アニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオで発生した放火殺人事件の犠牲者として身元が公表された石田敦志さん(31)=京都府宇治市=の父、基志(もとし)さん(66)が27日、京都府警伏見署で記者会見した。基志さんは冒頭、集まった60人以上の報道陣を前に、自らの思いを記した文章を読み上げた》

 

 本日は私どもの会見にたくさんお集まりいただき、本当にありがとうございます。うまく話せるかどうか分かりませんが、私どもの思いをお話しさせていただいた後、ご質問をお受けしたいと思います。よろしくお願いします。

 私どもの敦志は、私にとっては出来すぎた息子でありました。温厚で人と争うことが嫌いな優しい子でした。夢を追いかけ、高いハードルを何度も自力で飛び越え、夢をかなえました。そして数々のアニメ作品に参加し、私たちに多くの夢と感動を残してくれました。本当に素晴らしい子でした。

 小さいころからアニメに興味を持ち、「大きくなったらアニメの仕事がしたい」とよく言っておりました。最初は子供がプロスポーツにあこがれるようなものだと思っていましたが、次第にこれは本気だなと思うようになりました。

 けれども私の知る限りでは、アニメ業界のクリエーターは決して恵まれた環境ではないと、調べれば調べるほど不安になり、最初は反対しました。

 それでも敦志は決してあきらめず、私が与えた課題を拒否することもありませんでした。きっと親を苦しめたくなかったのでしょう。アニメの勉強と学業とを両立させ、自力で次々とクリアしていきました。

 

 そして私が与えた最後の課題が「京都アニメーション」でした。過酷な環境が多いアニメ業界において、京都アニメーションは唯一と言っていいと思いますが、クリエーターの生活保障がしっかりとしていて、クリエーターを大事にする会社だと知ったのです。もしここに入ることができれば、私も心から応援できると思いました。しかし今思えば、ずいぶん遠回りをさせてしまったと反省しています。

 こんなエピソードもございます。入社間もないころ、先輩から「アニメーターはやはり原画をめざすべきだ」というアドバイスをいただいたそうです。そのことに納得しつつも、「動画を自然に、しかも美しく動かすことにも非常に魅力を感じる」と私に言っておりました。じつに敦志らしいなと思ったものです。

 自然にしかも美しく動かす、ここにこだわった10年間であったように思います。やっと円熟期に差しかかり、これから彼に本当に磨きがかかり、本当に表現したかった「自然にしかも美しく」に磨きがかかるのを楽しみにしていたのに、31歳の志半ばで逝ってしまいました。

 この悲しみと怒りは筆舌に尽くしがたいものがあります。人生の過酷さは知っているつもりでしたが、人生にこんなにも理不尽で、悔しくて、苦しくて、悲しいことがあるとは思ってもいませんでした。胸が張り裂けそうであります。


 入社が決まり、敦志の引っ越しのとき、京都アニメーションの本社にごあいさつに行ったときの話です。

 

 社長の奥さまの八田陽子専務がわざわざ対応されて、「この業界に息子さんを送り出すのはさぞご心配でしょう。でもお父さんご安心ください。弊社で3年頑張れば、この業界どこにいっても通用する人材になることは間違いありません。そういう人材しか採用していません。どうか応援してやってください」とのことでした。

 私はそのころには既に京アニファンになっておりましたから、「素晴らしい作品を生み出した京都アニメーションで、息子がお手伝いできるのは大変光栄です」と応じると、八田専務は「そうではありません。お父さん、手伝うのではなく一緒に作るんです」と。まだ入社してもいない息子を一人前として処遇する八田専務の言葉に、大変感激したのを今でも鮮明に覚えています。

 その後、今回被害に遭った第1スタジオに案内してくださり、有名な監督たちを直接紹介していただき、感激もひとしおでした。最後に玄関口でごあいさつをと思ったときに、その壁に私が京アニ作品の素晴らしさに出会った最初の作品である「AIR」のポスターが目に入りました。私が別れのごあいさつのつもりで「こんな素晴らしい作品のお手伝いをさせていただけるなんて」と言い終わらないうちに、今度は村元(克彦)部長が「いいえ違いますお父さん、一緒に作るんです」とのことでした。その言葉でこれは単なる外交辞令ではないと感じ、ここなら大丈夫だと確信したことを昨日のことのように覚えています。

 

 京都アニメーションは、クリエーターと作品を大事にする素晴らしい会社です。このたび、たった1人の卑劣な犯罪者のために、まだまだ多くの素晴らしい作品を輩出したであろう才能と想像力にあふれた多くの人材が亡くなり、傷ついたことは、私ども遺族や、被害者家族のみならず日本の大きな損失です。なくしてはならない存在です。このような人材は決して一朝一夕にできるものではありません。残念でなりません。

 どうかみなさま、これからも敦志が愛した京都アニメーションを応援してあげてください。そして石田敦志というアニメーターが京都アニメーションに確かにいたことをどうか、どうか忘れないでください。心よりお願いいたします。

 

 《準備していた文書を読み上げた基志さん。まもなく質疑に移った》 

 

 

 --お子さまを亡くされてとてもつらい思いをされている中、このような会見の場を設けていただき各社を代表してお礼申し上げます。敦志さんはお父さまにとってどのような存在でしたか。一番忘れられないエピソードを教えていただけないでしょうか

 

 「敦志は私ども家族にとって唯一の男の子でした。それも末っ子でしたので、同性の男親の私としては、彼が家内のおなかに入って、男の子だということを告げられたときから本当に有頂天でした」

 「敦志は人と争うことがものすごく嫌いで、実は私と正反対でした。敦志は人と争う、競うことが非常に嫌いな人間でした。かといってスポーツをやらないということではない。スポーツは人並み以上で、サッカーも水泳も全てやれたんです。ただ、体育会系の私としては相手に勝つ、そういう競う楽しみを好まないんだなと感じたのをよく覚えています」

 「敦志は非常に親思いでした。特に私と性格が正反対だったせいか、非常に馬が合いました。家族旅行もたくさんしましたが、私にもたくさん付き合ってくれました。私どもは福岡に住んでいますが、鹿児島の指宿に日帰りとか、ドライブではちょっと無理があるような遠出でも非常に快く付き合ってくれました。そんな優しい子でした」

 

「2010年の『けいおん!』を皮切りに、記憶しているだけでも30以上の作品に参加しているはずです。テレビ放映があれば、どこのチャンネルで何時から(放送が)あるよと。映画の作品であれば必ずチケットを送ってくれました。エンドロールに石田敦志の名前を見ることが私ども家族一同楽しみで、何度も夢と希望を与えてくれました」

 「ただ私が一番残念なのが、敦志は親孝行だけをして逝ってしまいました。私は彼には何もしてやっていません。夢の京都アニメーションに採用していただいのも全て彼の努力です。情報工学をやりながら夜間のアニメーションの専門学校にいき、両方見事に両立して、そしてこの有名な京都アニメーションに採用していただきました」

 「私が今日ここに、みなさんの前にみっともない姿をお見せできるのも、生き残った私どもが唯一皆さまに敦志のことを多く知っていただきたい、それしか私どもにはできることがありません。そういう思いで今ここに座っております」

 

 --夜間の専門学校でアニメを学ばれたというお話ですが、大学に通いながら専門学校に通われたのですか

 

 「そうです」

 

 --京都アニメーションに進むお気持ちは、敦志さんからの発案ではなくてお父上の提案でしょうか

 

 「もちろん第一希望は京都アニメーションだったと聞いていますが、やはり一人息子なので将来不安があるような進み方は止めたいという思いが強くて。アニメーション関係の会社が一体どういう環境なのかということを私なりに調べさせていただきました」

 

 「ある雑誌だったと思うのですが、八田ご夫妻のいわゆる企業理念を読みました。敦志が入社したのは10年前になりますので、やっとそのころにみなさんの頑張りで『けいおん!』や『AIR』が評価をされた時期なのですが、まだまだ自社制作が完全に軌道に乗っている時期ではありませんでした。だけどもクリエーターを大事にしたいという思い、それと今からの企業展開をぜひ自社完結型で、しかもクリエーターの生活保障ができる会社にしていくんだというのを見たときに、失礼ですけども他の会社とは明らかに違うなと思いました」

 「素人調べではあったのですが、かなりのハードルが高い(ことが分かりました)。質の高い作品を作っているので当然クリエーターへの注文も高い。そういう人材しか採用しない。敦志が果たしてそこまでの技量があるのか、私としては未知数でした。それで、半分は諦めてほしいという思いもあり、情報工学もやっていましたので、十分生活はできていく環境にあると私は思っていましたので、京都アニメーションに採用されるなら自分は応援するよと」

 「私なんかが若いころだとかなり反発したと思うのですが、あの子は本当に優しい子で『分かった。頑張る』と。だからもう全然もめたということはない。ただ採用通知を見たときはさすがの私も舌を巻いたと申しますか、正直びっくりしました。そのころは私なりに勉強していましたので、京都アニメーションのレベルがどこにあるかというのをある程度理解していたつもりだったので、採用通知を見たときは何度も確認しました。何か誤字があるんじゃないかと。だけども実際そういうことでした。実際に私が本社にごあいさつに行って、(八田専務らから)お話を聞いたときのあの感激は本当にこれは本物だなと思いました」

 

 --敦志さんは2009年の春に入社されて、丸10年お勤めですか

 

 「そうです。今年で10年目だったと思います」

 

 --参加された作品で、特に思い入れがおった作品のエピソードはありますか

 

 「それは何と言っても最初に石田敦志という名前が出た『けいおん!』の2作目です。初めて石田敦志という名前が出たときはさすがにうれしそうでした。ほとんどそういうことを言わない息子でしたが。これはうれしそうでした」

 

 --一緒にごらんになったのですか

 

 「いえ。テレビ放送なので、私どもは録画して見ました。敦志は時間が取れれば福岡によく帰ってきてくれていたので、その直後ですかね。ちょうど制作と制作の間に時間が取れたということで帰ってきてくれたんですね。多分それは無理やり時間をつくって、そういう自分の感激を、当然喜んでくれるであろうわれわれ家族に直接言いたかったのではないかと、後に家族で話しました」

 

 --どんなことを話されていましたか

 

 「こういうところが難しかったとか、『動画も振り向くシーンがくるっと首が回るんじゃないんですよ』と。人間の振り向く姿というのはただ物が回転するのではなくて、それが自然にきれいに見えるのは、人間の動作そのものを表現しないとできないというような、まるでベテランが言うような。多分、先輩の受け売りだったと思うんですけどね。そういうことを本当にうれしそうに言っていた。なかなかそういう表情は見せないんですね。はにかむ程度の笑顔が一番敦志の印象として残っているくらいで。ああいううれしそうな姿はなかなか見られなかったですね」

 

 

 --敦志さんは2009年の春に入社されて、丸10年お勤めですか

 

 「そうです。今年で10年目だったと思います」

 

 --参加された作品で、特に思い入れがおった作品のエピソードはありますか

 

 「それは何と言っても最初に石田敦志という名前が出た『けいおん!』の2作目です。初めて石田敦志という名前が出たときはさすがにうれしそうでした。ほとんどそういうことを言わない息子でしたが。これはうれしそうでした」

 

 --一緒にごらんになったのですか

 

 「いえ。テレビ放送なので、私どもは録画して見ました。敦志は時間が取れれば福岡によく帰ってきてくれていたので、その直後ですかね。ちょうど制作と制作の間に時間が取れたということで帰ってきてくれたんですね。多分それは無理やり時間をつくって、そういう自分の感激を、当然喜んでくれるであろうわれわれ家族に直接言いたかったのではないかと、後に家族で話しました」

 

 --どんなことを話されていましたか

 

 「こういうところが難しかったとか、『動画も振り向くシーンがくるっと首が回るんじゃないんですよ』と。人間の振り向く姿というのはただ物が回転するのではなくて、それが自然にきれいに見えるのは、人間の動作そのものを表現しないとできないというような、まるでベテランが言うような。多分、先輩の受け売りだったと思うんですけどね。そういうことを本当にうれしそうに言っていた。なかなかそういう表情は見せないんですね。はにかむ程度の笑顔が一番敦志の印象として残っているくらいで。ああいううれしそうな姿はなかなか見られなかったですね」

 

 「家に遺影を遺骨とともに飾ってありますが、それを見ても、はにかんだいつもの敦志の笑顔が、この世に今いないんだと、どうしても飲み込めない。いまだに本当なのだろうか、というのが正直な気持ちです」

 

 「なぜ遺影に、はにかんだ笑顔の写真を選んだのか。(あこがれの先輩と写り)本当に彼らしい、本当はうれしくてたまらないのに、はにかんだ笑顔なんです。あれが敦志なんです。ここで(自分が)つぶれたらだめだなという思いになったのも事実です」

 

 --事件後、同僚から敦志さんの仕事ぶりや人柄についてどのようなお話がありましたか

 

 「私どもには非常に冷静沈着な息子というイメージでしたが、職場では非常にひょうきんだったそうです。特に京都アニメーションは、みんなで(作品を)作るという意識が強いですから、それぞれの意見が飛び交うわけですね、そうすると、ややもすればギスギスした雰囲気になるらしいのですが、それを和らげてくれたのが石田くんでしたと。そういった面があったのだなと。敦志も、みなさんからかわいがっていただいていたのだなと思いました」

 

 《質疑が終わり、基志さんが最後に思いを語った》


 私の今の心情としては、こういった事実はやはり認めないといけないのだろうなと。

 

 優秀な方々と志半ばで旅立ったわけですけども、きっと来世でお仲間と再会して、皆さんとともに夢をかなえてくれるんだろうなというふうに思いたいです。

 

 それともう一点だけよろしいですか。

 

 私もこういったみっともない姿を、いい年をした男が涙ながらにお話をさせていただくのは、そんなに格好良い話だとは思っていませんが、あえてこの場に出させていただきました。

 

 京都アニメーションのクリエーターの皆さんというのは、手前みそではありませんが、選ばれた方々なのです。そして、私の息子も含めて皆、希望と誇りを持って毎日仕事をしていたんだと思います。

 

 それぞれ名前をお持ちだと思うんです、私どもの息子も石田敦志という名前を持っています。それがいわゆる35分の1で、果たして本人たちはいいのかなと。

 

 これは他の方々への批判ではないです。私の偽らざる思いから言わせていただいています。決して35分の1ではない。まだ大けがをされている方々もいらっしゃいます。みんな誇りを持って個々のクリエーターとしてちゃんと名前があって、毎日頑張っていたんですね。そういった人たちにわれわれ残った者ができることはやはり、そこでそうやって頑張ってたんだということを、多くの人に記憶していただく、覚えていただく。忘れないでください、と言うことしかできないと思うんですね。

 

 そういった思いから、かなり自分としてはしんどい時期ですが、あえてこういう場に出させていただいた。


 もう一つ、私が日頃から、言っていることがあります。人は一度は誰でも旅立たないといけないんですね。人との別れは本当に辛いものです。どういった別れであっても人との別れは辛いと思います。

 

 何が一番辛いというのは、(亡くなる)順番が違うことです。順番が違うことは最も不幸なことです。

 

 今回、理不尽な被害に遭った皆さんの個々の名前を、あの京都の伏見、宇治で頑張っていたんだ、ということを長く残してほしいんですね。

 

 私にとっても私の家族にとっても、京都というのは非常に好きな所です。京都アニメーションさんと付き合いのある前から家族旅行などでよく来ていました。

 

 敦志が京都アニメーションさんにお世話になるようになり、伏見、宇治というのは特別な所です。

 

 今は悲惨な場所になってしまったんですね。私ども家族が宇治、伏見に行けば敦志の名前が見られる慰霊碑のようなものに残していただければと願っています。

 

 (遺族には)名前を出さないでくださいという方々がたくさんいらっしゃる。その気持ちも痛いほど分かります。

 

 これは他の家族にそうしてくださいというのではありません。私ども家族は「ここは頑張りたいな」と話し合っています。われわれが頑張るんだと。いろんなバッシングがあるかもしれませんが、あえてそれはわれわれが頑張ろうと。

 

 それでも石田敦志の名前を出したい、それが私どもの一番の思いであります。

 

以上です。

加えて、以下が石田敦志さんが携わられた作品の一覧です。以下のサイトから情報をいただきました*1

w.atwiki.jp

 

けいおん!!
動画

 

■日常の0話
動画

 

■日常
動画

 

映画 けいおん!
動画

 

氷菓
動画

「氷菓」BD-BOX [Blu-ray]
 

 

たまこまーけっと
動画

 

Free!
動画

  

小鳥遊六花・改 ~劇場版 中二病でも恋がしたい!
動画

 

たまこラブストーリー
動画

 

Free! Eternal Summer
動画

 

甘城ブリリアントパーク
動画

 

響け!ユーフォニアム
動画

 

■劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE- 過去篇
動画

 

■劇場版 境界の彼方 -I'LL BE HERE- 未来篇
動画

 

映画 ハイ☆スピード!Free! Starting Days
動画

 

無彩限のファントム・ワールド
動画

 

■劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~
動画

 

映画 聲の形
動画

 

■劇場版 響け!ユーフォニアム~届けたいメロディ~
動画

 

■映画 中二病でも恋がしたい! Take On Me
動画

 

リズと青い鳥
動画

 

ご覧の通り、石田敦志さんが10年間変わらず動画を手掛けていたことが分かります。これは会見の中で説明されていたとおり、石田敦志さんが動画という仕事にやりがいを見出し、原画に移らなかったためです。

お恥ずかしながら、私は最初にこの経歴を見た時(報道で実名が発表された後、お父様による記者会見が開かれる前)、正直「10年間も動画しかやっていないということは、あまり腕の立たない方だったのかな?」と思いました。普通、数年もすれば動画から原画に移るものだからです(動画という仕事を選んで従事される方がいらっしゃることも知ってはいましたが)。

 

もし石田基志さんが記者会見を開かなかったら、私はこのリストを見て石田敦志さんのことを勘違いしたままだったでしょう。また、敦志さんのお名前がお父様のお名前から一文字いただいたものであることも知らなかったでしょう。

 

非常に示唆に富んだ記者会見ですが、上記の点だけでも私にとっては「どんな風に生きていた方だったのか」「どんな方にどんな風に育てられた方だったのか」「どういう方が犠牲になった事件だったのか」の一端を知ることができる、得るものの大きな会見でした。

 

最後に、この記事を書いている現在、京都アニメーションでは募金の受付を行っていますのでそちらをご案内いたします。集めたお金は遺族にもあてられるそうです。

www.kyotoanimation.co.jp

 

<株式会社京都アニメーション 支援金預かり専用口座>

銀行名 京都信用金庫
銀行コード 1610
支店名 南桃山支店
店番号 048
口座種別 当座預金
口座番号 0002890
口座名義 株式会社京都アニメーション 代表取締役 八田英明
※ 表示名「カ)キヨウトアニメーシヨン」

 

BANK NAME : THE KYOTO SHINKIN BANK
SWIFT : KYSBJPJZ
BRANCH NAME : MINAMI MOMOYAMA BRANCH
BRANCH NUMBER : 048
ADDRESS : 16-50, YOSAI, MOMOYAMA-CHO, HUSHIMI-KU, KYOTO-SHI, KYOTO-HU, 612-8016 , JAPAN
ACCOUNT NUMBER : 0002890
ACCOUNT HOLDER : KYOTO ANIMATION CO.,LTD., REPRESENTATIVE DIRECTOR, HATTA HIDEAKI

 

<支援金に関する基本的な考え方>

支援金の使途につきましては、亡くなられた社員とご家族・ご親族、療養中の社員とご家族・ご親族、及び会社再建とさせていただきたく存じます。
お預かりした支援金につきましては、透明性を旨とし、収支報告をさせていただきます。なお、収支報告の方法及び時期等は、検討中です。定まり次第、ご報告させていただきます。
弊社への支援として実施いただいております募金活動などにつきましては、弊社にて確認が取れ次第、弊社HPにて順次、掲出させていただきます。

 

以上です。

今より先の未来、かつて石田敦志さんというアニメーターが腕をふるっていたことを知る人が現れてくれることを望みます。

*1:言わずもがなですが、データやリストには著作権はありません。

027『天気の子』(2019)メッセージ性がよかった話とセカイ系じゃなかった話。

 

お久しぶりです。2006年のスタート以降、数年間放置していたこの映画レビューコーナーをいまさら更新することに意味があるのか? という思いもあるのですが、さっき新海誠監督の『天気の子』を見てきて興奮冷めやらないので、その勢いで感想を書くことにします。個人的には良作でした。

 

☆☆☆☆

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目標の第一歩に到達した話(富野監督のこと)。

animeanime.jp

先日、仕事で上記のようなニュース記事を書きました。

実は私、富野監督のファンでして(ガンダムファンの方ならブログのタイトルを見ただけで分かるだろうけど)、いつか富野監督と仕事でご一緒するのが目標だったのですが、今回プロのライターとして富野監督のお話を聞き、写真を撮り、記事を書けたので、ついに最初の一歩に到達したのでした。

 

富野監督を肉眼で見たのは、たぶん大学生か大学院生かの時に参加した下記のセミナー以来だと思います。この時の私は将来自分がどんな仕事をしているか全く想像しておらず、富野監督は今よりずっと激しく尖っていました(もしご感心があれば下記レポートもご覧ください。若気の至り満載な文章で気恥ずかしいですが…)。

 

ishijimaeiwa.hatenablog.jp

ishijimaeiwa.hatenablog.jp

ishijimaeiwa.hatenablog.jp

ishijimaeiwa.hatenablog.jp

 

レポートの最後らへんにこんなことが書かれています。

 

彼女と講義の内容について話しながら帰る時も、私は監督とは別の形で会って話をしたいと思っていました。
できればその時自分が、監督とマンツーで話せる立場になれているとなおいいと思いました。

 

今回私は記者団の一人として話を聞き、写真を取る時に「目線こっちにお願いします」「ありがとうございました」と言葉を交わしたにすぎません。ただ、監督はちゃんと私の目を見て、微笑みながら対応してくれました。

15年前、富野監督にMGパーフェクトジオングを見せるけるガンダムファンに嫌気が差し、握手会の列から離れて「富野監督と話をするならファンとして握手をせがむ立場じゃなく、別の形でだ」と思ってから、やっとスタート地点に立てた気がします。まだ「マンツーで話せる立場」では全然ないので、今後よりそこに近づきたいなと思う次第です。

 

ともちゃん*1!! 俺はついに富野監督に辿り着いたぞ!!!

ユニバァァァァーーース!!!

 

(おわり)

*1:セミナー当時の彼女。当時は毎日Vガンダムを4話ずつくらい見、毎日富野監督の話をして過ごしていました。

『DRAGON BALL』はスーパー現役大ヒットコンテンツです(重要)。

最近気になる記事が流れてきたので久しぶりにブログを書こうと思います。

liginc.co.jp

 

要約すると「会社の先輩がドラゴンボール読め読めうるせーから読んでみたけど、昔の名作って感じで当時斬新とされたであろう絵や話も今となってはありきたりで、正直それほど面白くなかった」ということでした。

 

LIGの記事は面白さ優先で中身重視ってわけではないので突っ込むのも野暮な気もしますが(逆にITやライティングに関心がありこういう軽いノリの読み物が好きな方には他の記事もオススメです)、自分の意見をまとめるためにも以下書いていきます。

 

大前提として、読め読め言うだけで肝心の面白さのプレゼンテーションができていない先輩の失敗があるし、「反論するために読む」というスタンスで読んでしまったという筆者の態度は残念だなーと思います。

一方、筆者には「反論するために読んだけどそれを跳ね返すくらい面白かった!」と感じられなかった、というのもまた事実でしょう。

 

私は『DRAGON BALL』は作家性の強い哲学的な作品だし、更新の作品に与えた影響は計り知れない一方、他の漫画には見られないような個性的な作品だと理解しているので、筆者はまだコンテンツを見る目が幼いように感じます(『DRAGON BALL』は幼稚だと侮られやすい作品ではあるのですが)。

また、筆者のツッコミどころは粗が多いようにも感じました。犬が国王である世界観が現実世界に近いというのは「?」だし、鳥山明先生はコメントでは毎度チャランポランである風を装ってるけど、ファンならご存知の通り設定や描写を作り込むタイプです。

この辺りの細かいツッコミはやり始めるときりがないので割愛し、今回は「時代背景」の項目のみについて触れたいと思います。

 

インターネットがまだ普及していなかった1980年代後半の余暇の過ごし方は、スマホで当たり前のようにゲームができる今ほどに選択肢が多くなかったのではないかと思うのです。

 

果たして1992年に生まれ21世紀を生きてきた私にとって、これらの「よかった点」は通じるのでしょうか。

ドラゴンボールから多大な影響を受け、さらに改良を加えてきた作品を読んでいる私にとって、ドラゴンボールは「よくある絵」であり「どこかで読んだことのある物語」に感じてしまったのです。

 

おおよそこの辺りの話です。これ、本当にそうでしょうか??

 

以下の記事をご覧ください。2018年5月9日の記事です。

gamebiz.jp

グループ全体のIP別売上高では『ドラゴンボール』が前の期比60.2%増の979億円と1000億円達成が間近に迫ったことを明らかにした。同社のIP別売上高でも圧倒的な首位となっていることがわかる。

 

ドラゴンボールシリーズって今無茶苦茶ヒットしてるコンテンツなんです。売上高の表も見てみましょう。

2017年の時点で昨年実績から1.5倍になり、ガンダムシリーズを抜いて売上実績1000億に届こうという状態なんですね。よく見るとガンダム、ワンピース、スーパー戦隊などが微減する中、大躍進している急成長コンテンツがドラゴンボールなんです。

2018年の全体では800億とやや下がる計画ですが、それでもグループ全体のコンテンツの中でナンバーワンです。

 

この大躍進について、記事では下記のように分析しています。

国内トイホビーでは14.5%増の124億円にとどまっていることから、ゲームなどの売上が寄与したものとみられる。スマートフォンゲーム『ドラゴンボールZ ドッカンバトル』が世界的に人気を博しているほか、家庭用ゲームソフト『「DRAGON BALL FighterZ(ドラゴンボールファイターズ)』が発売となった。

という風に、おもちゃやハイターゲット向けの商品であるフィギュアなどよりはゲームが売れているのでは、という分析です。

ここには書かれていませんが、低年齢向けアーケードゲームの『ドラゴンボールヒーローズ』シリーズもよくTVCMで見かけますから、おそらく売上の後押しをしていると思われます。

www.carddass.com

 

「いやいや、筆者は漫画の話をしてるんだからゲームの売上の話を持ち出されても」という考え方もあるでしょう。では漫画の方はどうでしょうか?

原作コミックがこれまで無茶苦茶売れたことは周知のことだと思います。以下のサイトによると発行部数1億5700万部で歴代4位だそうです。

www.mangazenkan.com

 

ただ、これだと今売れている数字は分からないので、他の記事を調べてみました。Vジャンプに好評連載中の『ドラゴンボール超(スーパー)』に関する、2016年5月9日のこんな記事です。

hon-hikidashi.jp

4月4日に発売された漫画版『ドラゴンボール超』の単行本第1巻は、4月4日の発売後、予想を上回る人気で発売後すぐに品薄状態となってしまいました。しかし5月6日頃からは重版分が全国の書店に並び始めております。こちらもすぐに品薄状態になってしまうかもしれませんが、まだ手に入れられていない方は、ぜひお近くの書店で探してみてください。

漫画『ドラゴンボール超』は鳥山明先生がストーリー原案を務める同名アニメをコミカライズしたもので、とよたろう氏によって執筆されています。実際の売上は分かりませんが、まあまあいい感じで売れているようです。

 

で、このアニメ版については下記のような記事が見つかりました。2017年2月15日の記事で、先の売上高のデータの少し過去のものに触れています。

getnavi.jp

重要なのはここ。

ドラゴンボール」はここ数年で急激に売り上げを伸ばしている。2014年から見ると、

 

●「ドラゴンボール
2014年期:114億、2015年期:194億、2016年期:349億、2017年期:500億見込み

 

ドラゴンボール」のアニメは、2009年~11年と14年~15年にかけて「ドラゴンボールZ」(89年~96年)を再編集した「ドラゴンボール改」が放送され、15年から完全新作アニメ「ドラゴンボール超」の放送が始まった。近年の売り上げ上昇は、新作アニメが関係していると推測されている。

過去作を比較的原作に近い形で再編集した『ドラゴンボール改』で足場を固め、新作ストーリーであるアニメ『ドラゴンボール超』が始まってから躍進が始まっている、と見ていいでしょう。

 

ちなみにアニメがスタートする前、2005年から2008年頃のデータについて調べている方がいたのでこちらもご紹介します。

longlow.hatenablog.com

ドラゴンボールに着目すると

2005年実績:60億

2006年実績:79億

2007年実績:55億

2008年見込:180億

となっています。2008年以外はトントンといった感じですね。

 

いきなり売上3倍になっている2008年に何があったのかを見てみると、ゲームではPS2用ソフト『ドラゴンボールZ インフィニットワールド』、PS3用ソフト『ドラゴンボールZ バーストリミット』、DS用ソフト『ドラゴンボールDS』が発売されています。

www.bandainamcoent.co.jp

ただゲーム版の発売はこの年の前にも同じくらいのペースで発売されているので、ヒットの大きな要因とは言えなさそうです。

 

アニメでは、鳥山明先生がシナリオ監修したイベント用新作オリジナルアニメ『ドラゴンボール オッス!帰ってきた孫悟空と仲間たち!!』が公開されています。鳥山先生がアニメ版に積極的に関わり、その後の『神と神』『超』などのアニメシリーズのスタートとなった作品です。実際サクッと見られて面白いのでオススメです。

 

2008年から2014年の間のデータがちょっと見つからなかったのですが、2008年が180億、2014年が114億だったことを考えると、『改』の時期はトントンまたは微減傾向だったのかもしれません。

その間に『DRAGONBALL EVOLUTION』や『ドラゴンボールZ 神と神』などがあったことを考えても、『超』のアニメとコミックの相乗効果が始まった2015年以降躍進が始まったと考えてよさそうです。

 

以上の振り返りをまとめると、

 

鳥山明先生自らストーリー監修した新作アニメのヒットをベースに、

・コミカライズ版が(掲載書籍の対象年齢から察するに)子供層に売れ、

・ソシャゲ(ミドルティーン以上)やアーケードゲーム(児童向け)のヒットに繋がって今大ヒットを飛ばしている

・のが、ドラゴンボール

 

と言えるでしょう。

と、ここまで分かったとおり、ドラゴンボールシリーズのアニメや漫画、ゲームは今、子供大人問わず無茶苦茶にヒットしているわけです。

もちろんこれらは漫画の『DRAGON BALL』だけの効果ではありませんが、原作の物語やキャラクターが魅力的でなければここまでのヒットはありえませんし、新作で描かれている物語やキャラクターが原作より殊更に優れているとか、ゲーム版が原作抜きにして面白すぎるという話も聞かないので、やはり原作の魅力の延長にあるのが今の大ヒットであると考えるべきでしょう。

また、鳥山明先生がストーリー監修している新作アニメ以降ヒットが続いていることを考えれば、彼の作家性にヒットの要因を探ることもできそうです。

 

 

というわけで、LIGの栄藤八さんには、先輩に反論するためなどというしょうもない理由ではなく、今この瞬間、継続的なファンだけでなく連載時期には生まれてもいなかった子供も巻き込み、現行の漫画や数多ある新作コンテンツを抑え込んで大ヒットしている魅力ってなんなんだろう? という観点で『DRAGON BALL』をまた読んでいただけたらなあと思います。

そこには「今の漫画はもっと物語が洗練されている」「今の漫画はもっと絵が綺麗だ」「当時は『Dr.SLUMP』がヒットした直後だったからでは」といったような時代性に関係ない、シンプルかつ奥深い魅力があるはずです。

 

 

あと、栄藤八さんの先輩は後輩に対するプレゼンが下手すぎるので、プレゼン練習をした方がいいと思いました。

 

 

(おわりです)

 

ドラゴンボール超 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

ドラゴンボール超 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

東浩紀さん、そりゃないよ(北米出版に想像力や文学性はあったか? という話)。 ※20180706訂正

※20180706 2か所訂正しました。東浩紀さんは社会学者ではありません&火吹き山は米ではなく英発祥です。

 

そりゃないよ、と思ったのでメモがてら。

 

d.hatena.ne.jp

東さんが国内外のRPGに関する議論の中で、

なぜ北米ではJRPGのような「物語的」で「文学的」なゲームが生み出されなかったのか(中略)日本のメディアミックスはそもそもが出版社が主導です。メディアミックスがゲームのコンテンツを支配していたというのは、つまりある時期まで「出版の想像力」がコンテンツを支配していたということです。(中略)けれどそんな環境は北米にはなかった。

https://genron-tomonokai.com/genron8sp/no1/

と述べたことに対して、 TRPGのリプレイやシナリオの翻訳などを数多く手掛けその分野に詳しい岡和田晃さんという方が6月21日に下記のように指摘。

これは明確な間違いです。

 そもそも、世界初のRPGであり、『ウルティマ』や『ウィザードリィ』等のコンピュータRPGへ規範を提供した『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の発売元・TSR社は、「JRPG」の誕生のはるか前から、ゲームを出版という形で提示していました。

 それ以前、シミュレーション・ウォーゲームも多くは出版という形で流通しており、そのようなスタイルが定着していました(以下略)。

http://d.hatena.ne.jp/Thorn/20180621/p1

まあこれくらいの間違いなら「間違いくらい誰にでもあるよね」「詳しい人に詳しいこと教えてもらえてよかったね。今後論壇での議論がより深まるね」で済む話なんだけど、そうは問屋が卸さなかったみたい。

翌日の6月22日、日経のWebサイトに東氏によって下記のような記事が投稿された。

www.nikkei.com

ゲーム業界で仕事をしてきたライターの方々から厳しいお叱りを受けている。業界の常識に無知だというのだ。

専門家の意見には謙虚に耳を傾けねばならない。とはいえぼくの考えでは、このような反応の存在は、批評の役割について根本的な誤解があることを示してもいる。

批評の本質は新しい価値観の提示にある。価値観は事実の集積とは異なる。いつだれのなにが出版され、何万部売れたかといった名前や数字は、客観的な事実である。それはゆるがせにできないが、そこからそのまま価値が出てくるわけではない。同じ現象に異なった評価が下されることはありうるし、むしろ文化にとっては複数の価値観が並列するのが好ましい。批評の機能は、まさにそのような「複数価値の併存状況」を作り、業界や読者の常識を揺るがすことにある。だから、批評が「業界の常識」とずれるのはあたりまえなのだ。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO31888310Y8A610C1KNTP00/

その後日本社会全体の~とか、原発が~とか、本題と関係ない話が続いて、

日本人は「話せばわかる」の理想をどこかで信じている。けれど本当は「話してもわかりあえない」ことがあると諦めること、それこそが共生の道のはずだ。事実と価値を分ける批評は、その諦め=共生の道を伝えるための重要な手段だとぼくは考えている。

でシメ。

それを受けての私の感想が表題。

 

前提として、東さんの記事は岡和田さんの指摘に対してのものではないのかもしれない。「ライターの方々」としているから複数名から指摘があったことは間違いないし、岡和田さんへの直接的なアンサーではなくそれらの指摘総体を対象として論じたものかもしれない。というかそのように読める。

ただ、この記事の投稿の前日には岡和田さんは上記の指摘をしているので、岡和田さんの指摘を全く念頭に置いていない、ということはないはずだ。もし記事掲載後に岡和田さんの指摘に気づき「あ、事実誤認があったわ、これは確かに部分的には一理あるわ」と思ったなら、記事を下すか加筆修正すればいいわけだけど、6月26日現在そういったことはされていない。

 

つまり東さんの記事は岡和田さんの指摘を念頭に置いた上で書かれたものと判断して読むべきでしょう。これを前提として、じゃあその中身について。

一番の核心は岡和田さんの指摘は価値の問題か? 事実の指摘か? という事だと思うけど、これは価値の問題だと考えられます。

岡和田さんの指摘は煎じ詰めて言えば「東さんは『出版の想像力』が日本にはあって北米にはなかったと言っているけど、あったよ」ということ。これは「北米にも日本のアニメやマンガを生み出す出版産業と比肩する*1出版産業があったよ」という事実の指摘でもあるんだけど、主は「北米の出版業界だって十分に想像力豊かだったよ、あなたは知らないのかもしれないけど素晴らしくて後世に影響を残した作品もたくさんあるんだよ」という、当時の作品やクリエイターを高く評する意図のまさに価値についての指摘であると私は思います。

で、岡和田さんの指摘が価値の問題を内包している以上、同じ価値の話をしているわけですから「批評は価値の提示であり事実と異なる場合もある」という東さんの主張は反論になっていないのです。

東さんは岡和田さんに対して、例えば「日本のマンガやアニメを生み出した出版産業はスゴイけど、北米の出版産業なんてそれに比べればないも同然のヘボい存在じゃん」というように、価値の軸で応えなければならんのです。まあこれはかなり分の悪い勝負だと思いますが…

 

東さんは岡和田さんの指摘に対して

 

①「北米の出版に日本のそれに比肩する想像力はなかったと私は考えます」という価値の面での反論をする

②ごめんなさい&ご指摘ありがとう勉強になりました! と上記記事などにコメントを出す

 

早くどっちかした方がいいと思います。個人的には②しかないと思います。

 

岡和田さんは論旨であるJRPGの独自性を否定しているわけではないので、その論拠が出版の有無にあるのではないと分かったのは議論としてはいい意味で進展していると私は思いました。JRPGの独自性には別のところに理由があるはず。それを見出すためにも、この指摘はとっとと受け入れた上で議論を先に進めてほしいなと思いました。

東さん的には「えーっ、今本を出したところなのに、この本どうなるの…」ってところだろうしそこはちょっと気の毒だけど、批評家であり社会学思想家であり哲学者であるなら議論が進展したことを素直に喜ぶべきで、そういう学者としてのまともなスタンスをちゃんと示した方が、本1冊の損失くらい軽く取り返すだけの価値があると思います。

 

※20180706 訂正

ツイッターで下記の通りご指摘を受けました。ありがとうございました!

でもまあ社会学者でもあるわけだし…と思って調べてみると、下記のご本人のブログに行き当たりました。

d.hatena.ne.jp

社会学者じゃなかったんですね…

私はもう15年くらいてっきり社会学者の方だとばかり…おそらく私が学生で『動物化するポストモダン』などを読んでいた時、社会学の側で論じられることがとても多かったのでそう勘違いしたのだと思います。もしくは、哲学の論壇と社会学のそれを私が混同していたのか…

この記事の趣旨は変わりませんが、読者のみなさまと東浩紀さんには大変申し訳ないです。お詫びの上訂正いたします。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 

 

なお、これまた議論の前提となる「北米の出版に想像力や文学性があったか?」について。

そりゃあったでしょう。岡和田さんの指摘の通り『ダンジョンズ&ドラゴンズ』『トンネルズ&トロールズ』が面白かったからコンピューターRPGというジャンルが生まれたんだし、日本のゲームやラノベのクリエイターが影響されたんだし、それは単純なシステムだけの話ではなく物語として面白かったからと考えるのが妥当です*2

トンネルズ & トロールズ 完全版

トンネルズ & トロールズ 完全版

 

文学性については私自身は読んでいないので論じられないけど、少なくともすごくイマジネイティブであったことは分かります。 

 

なお岡和田さんは上記記事への追記にて下記のように述べています。

ピンと来ない方のために解説しますと、今回「ゲンロン8」の共同討議で東浩紀氏が述べていたことは、「夏目漱石の小説はイギリス文学に影響を受けていない。イギリスに出版環境がなく「文学」と呼べるほどの小説も生まれなかった。文学は日本で発展して、価値を得た」みたいなレベルです。

うん。せやね。D&DやT&Tが面白い物語体験じゃなかったら『ドラゴンクエスト』に始まるJRPGも『ロードス島戦記』に始まるライトノベルもなかったかもね。今や海外でも人気の『ソードアート・オンライン』なんか二重の意味でなかったろうね。

 

東さんの本件に関するコメントは以下の通り。

ケンカ売ってるとは思わないけど、反論になってないとは思うな。東さんはちゃんとした形でコメントした方がいいと思いました。

 

別件ですが、日本のクリエイターたちが『火吹山の魔法使い』などのゲームブックを熱く楽しく論じてたのは記憶にあるし、それだけ影響力がデカかったということだとも思います。私は世代じゃないけど、『火吹山』に影響を受けた国産のゲームブックはいくつも買ってプレイしました。

ゲームブックは北米発の出版コンテンツだけど、こんなにイマジネイティブでゲームに影響を与えたコンテンツもそうそうないよね。

 

※20180706追記

はてなブックマークにて下記の通りコメントをいただきました。コメントくださりありがとうございました!

ファイティングファンタジーはイギリス発祥です(スティーブジャクソン英と米の話しはもう割愛)

ギャアアアアアアアハズカシイ!!!! てっきりアメリカ産とばかり思っていたしました。関係者やファン、本記事読者のみなさま、お詫びして訂正いたします。

スティーブ・ジャクソン英と米の話とは、同姓同名の方がアメリカとイギリスに同時代・同ジャンルにいらした、という件の事のようです。

ちなみにスティーブ・ジャクソンさん(英)は元々D&Dやボードゲームなどアメリカのゲームの輸入販売や専門誌の刊行をされていて、そこからゲームブックの発売に至ったそうです。そういう意味ではゲームブックもまたやはりゲームと出版の融合の結果なんですね。

*1:これは控えめな表現で、岡和田さんからすれば「ある時期は日本よりもっとすごかったんだよ」と言いたいところだと察する。けどこれは憶測なので議論からは外しておきます。

*2:もちろん「いや、これらはシステムが面白かっただけで話としては詰まらんから文学性はなかった」という反論も可能だとは思う。その場合、それこそ岡和田さんが「そんなことねーよ!」と反例をたくさん示してくれるでしょう