LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

夢見る者達の楽園 ファンタジア「うどん屋の決闘」

 日が沈んで時間も過ぎた。きついオレンジ色だった西の空は、今は濃い藍色にぼやけている。バザーや旅人、乞食や果物の叩き売りやスケボー少年や泥棒などで賑わっていた大きな街道も、すっかり昼間の活力というものを失ってしまい、道沿いに連なる民家の窓からは光がもれてきている。
 きっとどの家もランプか明かりの魔法かで明かりを灯している頃なのだろう、とアースは思った。少年めいた面立ちの彼にしてみれば、そろそろ家に帰る時間のようだ。が、事実彼が家に帰ろうと夜道を歩いているのではない。彼はこの街の住人ではなく、はるか遠くからやって来た旅の人なのだ。
 旅を続けて何年にもなる彼は、見た目ほど若くはない。十五,六だと間違われる度に彼は自分の顔を情けなく思うのである。可愛らしい顔は、さすらいの男の大きなコンプレックスとなっている。
 そのさすらいの男アースは、今、暗い街道の脇を歩いている。その姿は服の色が暗いため、顔しかはっきりしない。全身紺の服に、胸には黒い金属板を縫い付けている。遠目に見ると闇に紛れて何も見えないようになっているのだ。道中で怪物や賊から身を守るための知恵である。腰には短剣、背中には大きなリュックサック。その上には寝袋が縛りつけてあり、リュックの中には旅に必要な物が詰まっている。
 そしてこれが問題なのだが、そのリュックには保存食等の食べ物が入っていない。本来なら常備すべき物なのだが、この街につく前、山での昼食時に山猿の集団にでくわすという事件に遭い、奴らにほとんど持っていかれてしまったのだ。今日の昼過ぎにこの街について食堂に入り、それはもうたくさん食べたものだが、日が沈んだ今になってまた腹が減ってきた。
(金もあるし、またどっかで食べるかな)
 街の外で暮らすことの多い旅人にとって、たまに街で飲んだり食べたりすることはちょっとしたぜいたくなのだ。彼は定食屋かレストランかの店を探し始めた。少し見回すと民家のなかに一軒の食堂をみつけた。木製の味気のない造りの建物で、入り口の上に白地に黒で「うどん」と書いてあるのれんが架かっている。それだけなら周りの民家のなかに溶け込んで気づきもしなかっただろうが、圧巻なのはそのもう少し上だった。あまり大きくもない木製の看板に黒の明朝体で「コスモうどん」と彫られている。これにはさすがのアースも怯んでしまった。もしその隙を敵にでもとらえられていたならば、命を落としていたかもしれない。とにかく凄いインパクトだったので、冒険者であるアースが入店しないはずがない。アースは引き寄せられる様にそののれんをくぐった。
 所々にランプが掛けてあり温かい光を放ってはいるが、油の質が悪いのか、ランプが小さ過ぎるのか、もしくはそういう雰囲気の店なのか、店内は驚くほどに暗かった。
(普通の店ならもうちょっと明るくてもいいが……いや、ここは「コスモうどん」と名のつく店だ。何があってもおかしくはない)
 目が慣れて「コスモうどん」の店内の様子がはっきりと認識できるようになると、彼の予想は当たっていたらしく、アースは短くうわぁ、と声をあげることとなった。
 店を縦に仕切る長いカウンターが左の壁に沿ってのびている。それ以外のひらけた所には、丸い木のテーブルと椅子が四脚。このセットが何組かあり、そこには客もちらほらと見られる。カウンターには背が高くて黒い金属製の椅子が置いてあって、客はそこに座ることもできるらしい。その内側にはウィスキーやビール、果ては焼酎などのアルコールが並んだ棚が、壁を埋め尽くすように広がっている。そしてそこに立っている店員は……
(ば、バーテンダーにボーイだって?)
 そう、そこにいたのは間違いなく真っ白のワイシャツの上に黒いベストを着込んだバーテンであり、少し若いがボーイだった。アースは一瞬ここがうどん屋であるという事実を疑いそうになった。が、それは徒労だということに気づいた。何よりも目の前を通り過ぎようとしているボーイの持ったおぼんの上にある二つのどんぶりが真実を語っているではないか。にわかには信じがたい光景ではあったが、事実は事実として受け入れないわけにはいかない。
 若いボーイは少しだけいぶかしげにアースを見ると、店員としての反応を「いらっしゃいませ」と言葉少なめにあらわした。アースは当初、何故自分がそんな顔でみられるのか分からなかった。しかし少し考えれば分かることである。彼が入店してしたことといえば小さな声で呟き、きょろきょろとあたりを見回したことだけなのだ。長旅のため薄汚れた格好をしているし、成人男性らしからぬ顔つきをしているということもある。きっと彼には、田舎から来た子供だとでも思われたのだろう。アースの童顔はこの店には場違いだと判断されたのだ。アースは気を取り直してカウンターの向かいの椅子に腰掛けた。
「何になさいますか」
 初老にさしかからんとしている無表情なバーテンは、手にしたグラスを拭きながらアースに言った。喉が飲み物を欲していたので、彼は部屋の奥に書き並べられたメニューを見て適当に決めた。
「コーラひとつください」
 バーテンは手元の動きを止めた。少し驚いたような顔をし、その後に悲しそうな顔をして首を横に振る。
 どうやら、また場違いなことをしてしまったようだ、とアースは直感した。そこですぐに下を向いて気合をため、眉間の辺りを右手の親指と人指し指で押さえて力いっぱい低い声を出して言う。
「氷入りのコークひとつだ」
「かしこまりました」
 アースは完全に冗談のつもりだったが、バーテンは元の表情にもどり、首を縦に傾け、別の乾いたグラスに氷を入れだした。
(なるほど、勝手が分かってきたな)
 出された氷入りのコークを唇の端から口にふくむと、他の客の様子をうかがってみる。暗がりに照らしだされた顔はどれもたくましい、もしくはガラの悪い男のもので、女子供はいない。どうりでアースが目立つわけである。客はそれぞれハードボイルドな面影を示しつつ、うどんだの寿司だのバーボンだのを食いながらパイプや煙草をふかしているようだ。煙草やアルコールはあまり好きではないが、この店ではうどんや寿司にも同じ意味、つまり渋い男の匂いを漂わせる効果があるらしい、とアースはひらめいた。そしてそれを自分も試してみることにする。
「きつね、大盛りでたのもうか」
 カウンターに背を向けて言うと、後ろでバーテンが拭いていたグラスと布を置き、奥の調理室へ行くのが分かった。
 アースはグラスを右手にぶら下げ、左肘をカウンターについた。頬をついてグラスを横に振ると、それは丸みを帯びた、透き通るように体の中に直接響く音を聴かせる。
 気づいたことに、この店はグラスの中の氷が揺れる音が何気なく聞き取れるほど静かである。個人が個人、自分の世界に入ったままで他の客に迷惑をかけることはない。一人でいることの多いアースだが、街でこういう時間が取れるとは意外だった。
(いい店じゃないか、ここは)
 コークを飲み干すと、静かにジャズが流れていることを知った。店の隅のジュークボックスから聴こえてくるかすれたメロディーは、彼が旅立つ前の日まで妹と聴いていた流行歌のものである。今はその妹さえ、もういない。
(残ったのは、俺とこの曲だけか)
 ジュークボックスのなかで回転する思い出がアースの記憶を蘇らせる。そう、この次の歌詞は……
 その時だった。のれんがめくられて、また客がこの「コスモうどん」に入店した。アースは思い出から解き放たれるとすぐにそちらに目を向けた。入ってきたのは二人。ごつごつの鼠色の鎧を身にまとった騎士らしい中年男と、それに連れの着飾った女。ランプの光が小さいので良くは分からないが、どうやら中年の方よりいくらか若いようだ。薄い闇に派手な色合いの服がよく映える。中年と女性は意外なほどのオーバーアクションで店内を進み、アースのふたつ隣の椅子に腰を下ろす。彼はすぐに二人に背を向ける様に体勢をかえた。思い出を邪魔されたからというのも理由の一つなのだが、それ以上の理由がある。この二人の客は異様に臭うのだ。すでに何軒かをまわってきたのだろう、もう顔が真っ赤を通り越して青くなりかかっている。
 きつねうどんのどんぶりがアースの前のカウンターのテーブルに現れた。新しい客に気をとられている間にバーテンが持ってきていたのだった。
「七味は、七味唐辛子はあるかい」
 言うとバーテンは既に手中に収められていた七味の瓶とさじをテーブルに出した。アースは蓋を取り、さじで赤い粉を何回かすくってきつねの上にふりかけた。彼は普段食べることのない濃い味を好むのだ。いつの間にか出されていた割り箸を二つに割り、汁をかきまぜる。その間にバーテンは無表情なまま隣の客のほうに移っていた。この臭いの中でその発生源の相手までせざるをえないとは、過酷な職業だ、とアースは思いながらきつねを食べはじめる。
 しばらく食べていると、隣の声が大きくなりだした。アースが椅子を回転させると、二人の客が言い合いをし、バーテンがそれをなだめる、といった形になっている。小さな会話の内容がアースにもはっきりと聞いてとれた。
「スラム育ちのお前の借金、全部肩代わりしてやったのも、その靴やその服を買ってやったのも、俺だろ。今、俺がいなきゃ生きていけないんだよ。お前は」
 凄い事を口走るオヤジもいたものだ。たとえ酒が入っていたとしても、うどん屋で言うせりふではない。その言葉にふっきれたのか、相手の女は突然立ち上がった。椅子の倒れる音で店中の注目を集めた彼女は、酔っているためそんなことを気に止める様子もなく、ただ立ち尽くしている。アースがその顔に目をやると、女の瞳の淵に涙が見える。その涙の最初の一つがこぼれ落ちると、女は中年の頬を打った。
「あなたが私に求めたのは、女という存在だけだったわ。もうあなたとはいられない」
 そう言って店を出ようとすると、素早くその手首をつかむ中年の手。ごつい金属製の籠手が桜色に染まった肌を締めつける。
「俺と離れて明日からどうやって食っていくんだ? え?」
 アースもとうとう腹が立ってきた。他の客の反応をみると、聞きはしているが、その事に首をつっこむつもりはないという事らしい。さすが、そのためだけにここに集まった大人達である。しかしアースは格好よさを気取るためにここに来たのではないし、おとなしくあの鎧中年と女を見つづけるつもりもなかった。
「なあ、お前はもう、俺のものだろう?」
「いやよ、これ以上……」
 カウンターの向こう側にいるコック、彼も一連のドラマを見ている。その手元にあるきざみネギの入ったタッパーを料理人が気づかない間に取り、アースはそれを放り投げる。暗い店内で鮮やかな黄緑色の放物線を描いて飛ぶタッパー。そして禿げ頭にあたってネギを散らす。さすがにこれには他の客も驚いたらしい。一瞬後にわき起こる拍手、困惑する店員達。アースはどんぶりに残った汁を飲み干す。ゆっくり振り向いた中年の鼻の頭を右手の箸でさしながら立ち上がって言う。
「やめろ。女は嫌がっている」
 さらに高まる客の拍手。ついに歓声まであがってきた。女はびっくりしてそのまま立ったままだ。驚きのあまり、涙も止まってしまったらしい。
 しかしだ。中年である。甲冑の震えから、怒りに身を震わせているのが薄闇の中でも分かる。その乾いた唇から言葉が一言一言ひねり出される。
「何者なんだ、貴様は」
「何者でもいい。わかったのかい」
 言いながら口の端を引き上げて、にっこり笑う。前後関係がなければ、最高の笑顔だ。相手の中年は剣はぶら下げてはいるが、兜も楯も持っていない。戦闘体勢ではないのだ。いくらでも対処の使用はある。それに相手は酔っぱらいである。いくら騎士でも、勝てない事はないはずだ。
 途端に中年の拳がとぶ。右から左へのフック。風を切る音を、アースは反射的にバックステップでよける。逃げたりするのは慣れたものだ。中年の拳は籠手の重みによって加速をつけ、カウンターに直撃した。勢いよくカウンターの表面が砕ける。
「ごあいさつじゃないか。騎士様のすることか。え?」
 とりあえずかわしたが、突然殴りかかってくるとは。アースは思った。この臭う彼はやばい。このまま店の中にいては、周りの人達に迷惑がかかる。
「ここじゃ狭いだろう。表にでて……」
 もう遅かった。怒りの中年騎士は柄を握ると、勢いをつけて鞘から剣を抜き放った。アースとの間にあった背の高い椅子が鋭い妙な金属音をたてて床に転がり、客は騒然とし始める。こうなってしまっては、仕方がない。アースも剣を抜く。
「このガキ……」
「それでも騎士かよ、あんたは!」
 目前で縦の太刀筋が闇に光り、床に穴があく。それほどまでに剣という武器の威力は凄まじいものなのだ。しかし、剣はその重さで叩き切るための武器である。叩きつけた後それを持ち上げるまでに隙が生じる。その隙を埋めるために楯という防具が存在するのだが、今中年はそれを持っていない。
 アースは予定されていたその一瞬の間を見逃さなかった。振り下ろされた剣を持つ中年の手に蹴りを入れる。彼は相手を殺すつもりはない。挑発はしたが、こんな所で武器を持って戦うのはごめんだ。だが間合いが広すぎたためか、相手の剣を落とさせるまでには至らなかった。中年は剣を振り上げて今度は横に切り払う。金属の打ち合う、嫌な音とともにアースの両手に重い衝撃が伝わる。
(さすが酔っぱらっても騎士、やってくれる……)
 戦いが長びけば店に迷惑がかかるし、理性のあるぶん自分は不利になる。そう判断したアースはすぐに決着をつけることにした。剣で攻撃を受ける体勢のまま相手の懐に飛び込む。中年は剣を振る。それを肩で支えた剣で受け止め、その態勢から柄の端で中年の手元に一撃を加える。中年の口から曇った声が漏れて剣が落ちる。体が触れるほどの接近戦では剣は振ることができないので、持っていても邪魔なだけだ。アースもすぐに剣を放ると無防備な中年の顎を横殴りにする。後ろかどこかでボーイがおろおろしているのが見えた気がしたが、つづけて密接した状態で中年に体当たりをかけた。中年はたまらず後ずさり膝をつく。
 しかし詰めが甘かった。これで勝負がつくはずだったのだが、相手が膝をついた所にちょうど落とした剣があったのだ。中年はそれを手に取ると、すぐに構えた。アースの剣は邪魔にならないようにと離れた所に投げてしまっている。あわてるアース。その左胸に強烈な突きが襲いかかる。胸の防具のおかげで心臓を一突きにされずにすんだが、強い衝撃がアースをつつむ。思わず後ろによろめいた。早くも中年は立ち上がり、縦の一撃。これを右にかわしたアースはカウンターに背を向ける。もう逃げ場所はない。
「これでしまいだ」
 殴られた顎を何度も噛み合わせながら最後の一撃を構える中年。ちっ、と舌打ちをする窮地のアース。もう蹴ったり殴ったりが通用するとも思えない。何か武器は……
(あった!)
 カウンターの向こうに、アースは確かに武器となるものを見つけた。そして振り下ろされる中年の剣。
 二つの音が重なって響いた。一つは中年の剣がまたも胸の装甲を叩く音。もう一つは中年の額をアースが持ったまな板の角が突き刺す音だ。アースがカウンターから取り出したのは、紛れもなくまな板だったのだ。まな板が額から離れ、中年が崩れ落ちる。まな板も落ちる。アースは勝ったのだ。
「すまない。騒がしてしまって……」
 沈黙の間をおいて、アースはすぐに事の一部始終を見ていた無表情なバーテンに言う。
「いいえ」
 彼もまた、小さく言う。アースにとってこれほどありがたい事も無かったが、もうここにはいられない。荷物を肩に背負いなおし、カウンターに小銭を置いて、自分の剣と中年の剣を拾って両手に持つ。
 出口に向かう途中、女と目があった。彼女は少しだけ礼を言うように口をもごもごさせた。アースも首を縦に振る。のれんをくぐろうとすると、後ろから店にいた人の数だけ手をたたく音が聞こえてきたが、振り返らずに、のれんをくぐりきる。アースの姿は、もう夜の闇に消えていった。


「ってなことが、この前あったんだよ」
 「コスモうどん」のチェーン店「コスモそば」で、アースは好物の天ざるそばを食べながら隣に座っている旅の友人ミーナに話していた。彼女はそれを聞きながし、呆れ顔で言ったものだ。
「アース、あなた、バカじゃないの?」