LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

夢見る者たちの楽園 ファンタジア「告白」

 生まれに恵まれなかったジャックとエリーは、各々自分だけを信じ、持てる才能だけを武器に生きてきた。しかし身勝手な考えは自身を落としていくもので、殺しに手を染め、それに動じない心を持つようになった。暗殺者集団に属し幾度も仕事をこなし、それを通して二人は知り合った。似た者同士は互いの哀れさに気付き自分の愚かさを認めた。二人の間に生まれたのは他人を傷つける殺意ではなく、一人の娘だった。
 彼らは仕事から手を引き、遠く離れた街の一角で家庭を築いた。それはすさんだ人生を送ってきた二人にとって無二の宝となった。
 しかし娘も少女へと成長してきた頃、戦慄は蘇った。かつての仲間が獲物を手に忍び寄り、過去の清算とともに彼らの幸せ全てを闇に帰そうと襲いかかってきた。娘には事実を隠し、隣人に気付かれぬよう、二人は平和を賭けた戦いを決心した。
 戦いは勝利に終わった。誰に知られることもなく追手を抹殺した。だが、居場所が知られている事を危険だと判断した二人は、その街を離れることとなった。
 暗殺者の追撃は執拗だった。どこの街へ逃げても敵はすぐにやって来た。その都度二人は心を鉄に変え、あらゆる手段を行使して追手を返り討ちにした。愛情を注いで育てた娘には一切の事実を知られぬように。子供には自分達の様な生き方をしてほしくなかった。二人は誰にも見られていない筈のその戦いが何かの形で娘に影響することすらも恐れた。そして二人は最も愛するその娘を行き着いた街の施設にいれ、逃亡の旅へと出ることになった。それが娘を黒い影から守るための最良の策だと思ったのだ。
 何年もあてのない旅路をさまよい、追手を打つ。娘と会うのは、施設に金を納金する時だけになった。二人の人生は再び闇へと戻ったが、大切なものを持つ二人は、不毛な戦いにも耐える事が出来た。
 アースが旅の中で出会ったのはそんな時の二人だった。何故か二人は彼によくしてくれた。どうしてかは今となっては分からないが、その二人の同意の下でアースは一月近く旅路を共にさせてもらった。
 そしてある晩、三人は暗殺者の強襲を受けた。すぐに戦闘に慣れていないと見られたアースが標的となった。夜盗などとの戦いには少しは慣れていたアースだが、殺しの専門家に向かってこられるのは勿論初めてである。襲いかかる刃の閃きに恐怖し、表情のない殺意にアースは殺されていた。
 恐怖と後悔に体が麻痺したその時、止めを刺そうとする暗殺者の隙をついてジャックの反撃が始まった。そしてアースがしりもちをついている間に戦いは終わっていた。彼の持った刃物によって敵は音もたてず死していた。アースは何も言うことが出来なかった。
 それを機にジャックとエリーは旅先を定めた。二人は終わらない戦いに終止符を打つ事を決めたのだ。アースにはそれはつまり討ち死にをしようとしているものと思えた。これまでは相手の都合により一度に一人しか相手にすることはなかったが、本拠地へ赴くとなると勝手が違う。やめてくださいと言っても二人は聞かなかった。死ぬ気ですかと問えばそんなつもりはないと答えられた。しかしそこにあるのは確かな死である。戦いのプロフェッショナルがその確率をはかれない筈はなかった。
 話はアースの気が済むまで彼らに同行するということで決着がついた(二人はやめておけ、死ぬ気かと言ったが説得するに至らなかった)。こちらから攻めるため迅速にアジトのある街へ向かった。そしてあといくらかという所まで来て、二人は言った。ここから先は自分達でかたをつける、と。言われたアースはそれ以上彼らについていく気にはならなかった。熱が冷めたわけではない。以前の戦いで自分の無力さを知ったので、戦いを目的とする二人の足手まといになってはならないと思ったのだ。
 エリー・ファーリュオは別れ際に、娘に会うことがあれば、と一つの封筒をアースに手渡した。母として生き残る娘へあてた手紙であった。アースは受け取り、うなずいた。一度彼を抱擁すると、彼女はずっと先へ進んでいってしまったジャックの後を追って景色の向こうへ消えていった。
 その後、二人と会うことは無かった。遠くの街で殺し屋集団がどうなったとか、そういったうわさも聞かない。
 アースは彼らに憧れていた。自分の命以上に大切なものを持っていて、そのためならどんなことでも出来てしまう。アースとて戦いはするが、それは自分を守るためのものである。それ以上はない。だから戦わずに済めばそれがいいと思っている。その考え自体は間違っていないと確信しているが、それ以上の何かを持つこと、それがアースには仕方ないほど羨ましかった。
 アースは旅の行く先を決めた。残された手紙を届けるため、二人が最後まで守ろうとした、彼らの娘の生きる街へと。
 しかし旅の長い時間は彼の考えを変えさせた。愛する者がいるなら、そうであればこそ生き残るべきではないのか。死ぬことによって満足するのは自分だけではないのか。アースは彼らのひたむきな姿に惚れ込んでいたが、それに疑問を投げかけざるをえなかった。 だとすると、彼らを見送って生き延びているアースは一体何なのだろう。彼らは死ぬべきではなかった。そう思うなら、自分は二人を見殺しにしたという事になるではないか。街へたどり着いて娘に会い、両親のことを尋ねられたとき、アースは何と答えればいいのか。二人は討ち死にしたと言うのか。では何故自分は生きていて、のうのうと旅など続けているのだ。全くの理不尽ではないか。
 アースは彼らの娘のいる街へとても向かえなくなった。そこへ着いた時、その子はどんな目で自分を見るだろう。あの人を切り裂く時の目を想像するだけで震え上がるに十分だった。だが、いつまでもその封筒をバックパックにしまいっぱなしにしておく事はできない。二人と別れた時の記憶が燃え上がり、早く手紙を渡してくれと叫ぶのだ。
 手紙を渡すことを決心するのに二年間、街に着くまで二ヵ月かかった。

 たどり着いた北の街はアースの予想以上に規模が大きく、その中から一人を特定するのは無理ではないかと不安になった。しかし彼らの娘は何年も前から施設に入れられている事を知っていたので、実際捜索はそれほど苦ではなかった。
 ミーナ・ファーリュオは二年ほど前に施設を出ており、それから仕事を転々として、今はある酒場兼宿屋で働いている。施設の事務員から聞いた職場を雪のなか行ったり来たりしてたどっていった結果、数日目になってそのような事が分かった。場所が分かるとアースはすぐにその店へと足を運んだ。
 全身の雪を払い、分厚いドアを押し開けた。薄暗い店内には暖炉の温もりとギターによる曲が漂っていた。外の夜の寒さとは反比例の男達の熱気とざわめきであふれている。よそ者の彼は店に入って一瞬注目を集めたが、すぐに店の空気に溶け込んでしまった。
 荷物を置き上着を椅子にかけ、座って適当なものを頼んだ後、店員にミーナという人物はここにいるかと尋ねた。店員は首の動きで店の隅でギターで曲を流している女性を示した。そしてどうやらその人に間違い無さそうだった。予想どおり、エリーに似たところがある。ただ、一人で黙々と演奏をしているからか、人と人との会話の熱い店内で浮いた存在に見えた。
 彼女の近くへ席を移し、飲みながら様子を見ることにした。雪の窓辺の椅子に腰掛ける彼女の顔は、シャープすぎると言えばそうだが、女性らしい綺麗なものに見えた。顎も目尻も、口元も鼻も黒髪も、何もかもが細く長く整っている。何故この男の多い酒場で誰も声をかけようとしないのか不思議なくらいである。アースはとりあえず話から始めようと曲の終わった彼女の方へ歩いていった。
「できたら、一番得意な曲をたのむ」
銀貨を二枚だして彼女の前の小さなテーブルに置く。すると彼女はアースの顔を少し見やると、右脇でギターを抱えたまま逆の手で銀貨を一枚つまみ、もう一枚に軽く叩きつけて金属音を調べだした。次にそれを目に近づけ、何かを確かめるように見ている。
「どうしたの。言っておくけど、それ、本物だよ」
そう言うと、
「あなたの店に入ってからの行動が、ずっと怪しすぎたので」
と返事をした。アースは相手にこちらの視線が看破されているとは思っていなかった。内心驚く彼を無視し、彼女は銀貨を置くとチューニングをし始めた。
「それに、銀貨二枚は多すぎです。どういうつもりなのか、疑いたくもなるでしょう?」アースは完全にうちのめされた気分だった。
 彼女の歌声は、その態度と違い、柔らかく美しいものだった。雑談に熱くなっていた酒場を彼女の優しい調べがなだめていく。が、アースはそれどころではなかった。気を据えて考える必要がある。一体、彼女の付き合いの無さは何なのだ。これでは話を切り出すのもままならない。アースは彼女にただ話をし、手紙を渡すだけのために二年越しにここへ来たのだ。そう、彼女の両親と自分は知り合いで、その最期を知らせてやれるのは、勿論自分だけだ。それなら、少しくらい冷たくあしらわれても怯むわけにはいかない。アースが結局そのように自分を勇気づけると、彼女も曲を歌いおえた。
 拍手と歓声も静まってくると、彼女はギターをケースにしまいはじめた。決心すると同時にこれである。アースは慌てて話しかけた。
「上手だったよ。歌、ありがとう」
「あなたが一番得意なのをって注文したんでしょう?」
このいかんともし難い反応、どうにかしてほしい。顔で笑ってアースはそう思った。何故か笑ってしまい気まずい雰囲気を演出するアースを尻目に、彼女は隣の椅子にかけてあった厚手のコートに腕を通す。
「もう帰るの?」
 そう問うと、今日の稼ぎは銀貨二枚で十分ですのでと、彼女は帽子を被り、ギターのケースを背負って出口へ歩きだした。アースも慌ててそれについていく。
「この街、初めてなんだ。案内してくれるとたすかるんだけど……」
後ろでそう言っている彼を放っておいたまま、彼女は分厚い出口の扉を体で押して外に出た。アースも次いで外に出る。すると突然横殴りの突風と雪つぶてに襲われた。アースは上着をぬいでいてシャツ一枚である。冬の寒さには到底耐えられない。
「この時間にこの街を歩くつもりなのなら、この通りの奥にある仕立屋でコートを作ってもらうといいと思います」
 彼女はそう言って雪のなかに消えていってしまった。アースは成す術もなく、右半身と頭の上に雪を積もらせた。
 ここにいればまた彼女と会えると思ったアースは、この街に滞在する間、この酒場兼宿屋の二階に寝泊まりすることにした。店内に戻り、くしゃみをしながら上着を着てカウンターに行くと、先の店員がそこにいた。彼はアースの顔を見るなり、少し吹き出した。
「いえいえ、すみません。ところでミーナさんはどうでしたか」
彼は雪をかぶった情けない表情を見てではなく、アースが彼女に振り回されていた事を思い出して笑ったようだった。
「何なんだろうね、彼女は。全く取り合ってくれませんでしたよ。こっちが何を言っても一言で返されるし。まあ、あれならこの賑やかな店でも、誰も相手をしようなんて思わないでしょうがね」
投げやりな口調のアースに、店員は少し驚き顔である。
「へえ、彼女と会話が出来たんですか。お客さん、気に入られてるのかもしれませんよ。彼女、普段は喋ること自体まれですから。ここにいる男たちは皆、はいといいえしか言ってもらえなかったんですよ。私も含めて、ですけどね」
 それを聞き、深く考え込むのをやめるとペンを受け取ってサイン帳に自分の名前を素早く書き込んだ。
 それからしばらく、彼女が店に来る夕方から深夜にかけて、アースはいつも酒場にいるようにした。彼女が現れる度に彼なりに努力しているのだが、結果はかんばしくない。最初の日のように理由をつけて逃げられなくなるまでに三日、本人の口から名前を言ってもらうのに五日、一言で返される会話を世間話に構成出来るようになるのに一週間もかかった。しかしある程度の発展はアースの勇気になった。
 昼間、市場でウィンドウショッピングをしてきたアースは、空の色が変わりはじめた時間にいつもより早く宿屋に戻った。まだ明るいためか、客の入りが少ないし、彼女もまだ来ていない。二階の個室に戻ろうかとも考えたが、荷物を持って上がるのが面倒だったので、すぐにテーブルに着いた。この店に来て以来仲良くなってしまったあの店員に軽食を頼んだ。少し待つと彼は片手にフライドポテトが大盛りにされている皿をもって来て、アースのテーブルに置いた。
「そろそろ彼女にちゃんと言ってしまえばどうです? アースさんの態度見てるとなかなか進展しなくてもどかしくって。こっちがむずむずしちゃいますよ」
笑いながら言う彼のその言葉を聞いて、アースはフライドポテトを口に運ぶ手を止めた。彼の言うとおり、アースは彼女に告白しなければならない事がある。それが目的でこの街のこの酒場に来たのだ。
「そうだな。やっぱり、言うこと言わなきゃな」
アースは口にフライドポテトを詰め込んだ。
 日が暮れて気温も下がると、だんだんと客も増えてきた。アースと同じ旅の人、仕事帰りの男、街のチンピラ、ならず者たち。彼らに紛れて彼女も来店した。今日は黒のズボンに黒の長袖、その上にいつものコートを羽織っている。彼女は上着をたたむと、いつも座っている店の奥の席に座り、ギターを取り出した。
 アースは今晩はと挨拶をすると、彼女と椅子一つ分間をとってそこに腰掛ける。彼女は別段気にする様子もなく、会釈をするとギターをいじりだした。
「そういえば、どうしてこの街にきたの?」
 告白告白とその事ばかり考えていたアースに突然彼女が問いかけてきた。これまで彼女から話しかけてきたことは一度もなかったので、うれしさ半分戸惑い半分であったが、困ったのはその返事である。本当のことを言うわけにもいかず、かといって嘘をつくのも難しい。いや、本当は本当の事を言えばいいのだろう。が、それでは相手が聞いてくるまで彼女の両親の事実を隠蔽していた事になりそうだったので、それははばかられた。
 口実を作るためアースが黙っていると、ギターの音を調べるために下を向いたままの彼女が、つづけて口を開いた。
「さっきの、なしにして下さい」
言いおわると同時にギターを奏でだした。それは特に長いとして知られている一曲だ。折角初めて話してくれた彼女だが、恐らく当分アースと話をしないつもりなのだろう。それも、相手に何か悪いことを聞いたという自責の念からだ。アースにはそれが辛かった。秘密を聞き出そうとする事より質の悪いこと、つまり真実を知っておきながら本人を前にして言いださないという事をしているのは、自分なのだから。
 彼女は弾きおえても話そうとはせず、誰にも頼まれていないのに何曲も歌い続けた。その間アースはずっとうつ伏せていた。彼女はそれで生計を建てているので邪魔は出来ないし、それ以前に彼女と話す自信さえ無くしかけていた。今日はもう何もしないでいよう。彼はそう思っていた。
 うとうとしていたアースを揺すって起こしたのは、彼女でも店員でもなかった。見知らぬ男である。何か言っているようだが、寝ぼけたアースにははっきり理解できない。
 二十歳くらいのその青年は、アースに何かを売りつけようとしている様子だった。何かと問うと、彼は懐の小さな樽を自慢げに説明しだした。
「これさ。この酒。有名じゃないが絶品の地酒で、今じゃ手に入りにくいんだ。しかしお前さんと会ったのは何かの縁だ、この値段で提供するぜ」
彼は指で値段を示した。それは信じがたい高額だった。アースが高すぎだと答えると彼は少しむっとしたが、すぐに表情を作りなおすと、続けた。
「まあ、飲んでみなよ。始めたら止められなくなる、そんな魔法の酒だぜ。文句言わずに買った買った」
 明らかにいかがわしい商売である。しかし今晩のアースは気分も暗く、ちょうど酒も欲しかったので財布に手を伸ばした。
 すると、これまで黙っていたミーナが下を向いたまま呟いた。
「それ、ドラッグよ」
 その言葉を聞いた男は青ざめ、奥歯を強く噛みしめ彼女のほうに向き直り、テーブルに拳を叩きつけた。大きな音と怒りの表情にミーナは怯んだ感もなく、黙って相手を凝視する。全く恐れない彼女に腹を立ててか、彼は突如腰に携えてあった短刀を抜き放った。不気味な光のそれに客は騒然とし、二人を中心とした人のいない円が出来上がった。
「つまんねー事言いやがって、この女……」
柄をきつく握ると、青年はそれを彼女の顔めがけ一直線に突き進ませた。
 アースが止める間もなかった。
 突然飛んできたミーナのオーバーコートが青年の顔を覆い隠したのだ。そして彼は勢いよく前に倒れ、床に顔を強打した。客たちから息が漏れる。
 それを見て、アースは彼女のほうへと歩み寄った。
「どうして逃げなかったんだ。誰かがああしてくれなかったら、君は……」
彼女は返事をしなかった。床を見ている。そこでは男がコートを自分の頭からはぎ取っていた。目を血走らせ、歯茎を剥き出しにしている。そして再び二人のほうへと突進をかけてきた。彼女が何か大きな声で言ったが、アースには聞こえなかった。反射的に右手で彼女の肩を反対側へ押しやって振り返ると、青年の持った刃がアースの左手首から上を切り離していた。
 激痛がアースの心臓をくし刺しにし、声にならない低い叫びが走った。反射的に右手でその手首を締めつける。
 だが、血は一滴も滴ることは無かった。それどころか手首は元の位置についているし、痛くもない。青年も客たちもアース自身も、目を疑った。唖然とした人々の叫び声の余韻だけが店内に残る。
 事実は事実である。アースは誰よりも早くそれを認識した。がらあきの相手の腹にきつい蹴りを食らわせ、そこで相手が落とした刀の先を踏みつける。もう青年に勝ち目はなかった。彼は客を押し退けて、店から出ていってしまった。出ていって数秒の後、客たちは一斉に歓声を上げる。二人の英雄は彼らを讃える酔っぱらった客たちに押しつぶされそうになった。
 誰かが始めた二人のための酒盛りは夜遅くまで続いた。大半の客が二階の宿か自宅に帰ってしまい、酒場に残されたのは泥酔状態の客と、今回の一件で酒に懲り、飲むわけにはいかなかったアース、それにアルコール類を飲めないミーナだけである。
「おかしいな……確かに切れた。そうだった」
暗い店内の、ジョッキや瓶の積まれたテーブルで、てらてらと黄色に燃えるランプや暖炉の灯火に照らされたアースは、不思議そうに自分の手首を何度も擦った。それを隣の席に座って見ていたミーナが、ため息一つついて言う。
「種明かしをするわ。あなたの手は実際に切れた、それを私が魔法で元に戻したわけ」
「君、魔法使いだったのか……。聞いてないよ、そんな事」
「勿論。言ってないもの」
 そうではない。彼女の両親から聞いてないとアースは言ったのだ。そこでアースはこう考えた。青年の脅しに動じなかった時の目、あれはバルパやエリーの目だった。二人があの立場だったら、間違いなく青年は殺されていただろう。しかしミーナは魔法が使えたため、青年も自分も傷つかずにすんだ。自分たちと同じような人間になってほしくない。そんな親の気持ちが娘に不思議な力を与えたのかもしれない、と。
「でも、あなたの手、私が魔法の力を止めたら、落ちちゃうのよ」
 アースは愕然とした。
「大丈夫。二ヵ月もすれば自然治癒力でちゃんとくっつくわ」
「もう二ヵ月もここにいなきゃならないのか、俺は」
「私があなたについていくって言ってるの」
その言葉にアースは動きを止めた。彼女は平然と言っている。どうやら本気らしい。だが慣れた旅人であるアースがそんな事認めるはずは当然なかった。
「いくら魔法使いだといっても、君のような女の子を街の外に出すわけには行かないよ」
するとミーナは平然としたままの顔で答えた。
「あれがそんなに大それたものかは分からないけど、とりあえず薬の売人の目に止まったのよ。後ろに大きな組織があるに決まってるじゃない」
「そうと知ってたなら、何であんな軽率なこと言ったんだよ」
「あなたがそうと知ってなかったからでしょう?」
これまで過ごしてきた土地を離れるのは辛いだろうに、何故彼女がこうも街を出たがるのかアースには分からなかった。しかし彼女の主張は一応事実であるし、そうだとすると自分が一番軽率だったと言える。彼女がこの街を出なければならないのなら、それに同行する義務くらいはあるかもしれない。アースはそう思った。それに、もしかしたら未だ渡せていない手紙をその機会に渡すことができるかもしれないという考えもあった。
「街を一つか二つ越えれば、それでいいから」
カウンターの奥の棚に並んだボトルの銘柄を見ながら、ミーナはそれでもアースに頼みごとをしているようだった。
「わかった。しばらくは君にご一緒しよう。俺は明日中に準備を済ませる。君は身のまわりの整理をしてくれ。早いほうがいいだろうから、明後日にはこの街を出る」
 悩んだ末の彼の決断は少しは彼女を喜ばすものと思っていたが、その意に反してミーナは正面を向いたままである。よく考えれば、彼女がこんな事で喜ぶはずもない。自分はまだ彼女のことを分かっていないようだ。そう思うと、アースは心中で自嘲した。テーブルの下で彼女に見えないよう、足の裏で空になって転がっていたボトルを遊ばせながら。
 小さな物音。それに即座に反応したアースは、前の棚から一本のワインボトルが転がり落ちようとしているのを見た。しかし彼がどうする間もなく、銀色の柔らかい光に包まれたそれは、重力の働きというものを全く無視し、吸い込まれるように隣の彼女の手のなかへと飛んでそこにおさまった。コルク栓が床に落ち、ミーナは手元のグラスに注いでアースに差し出す。
「それなら、少しくらい飲んでおいたら?」
 ややあって、アースは目を閉じて含み笑いをし、それを受け取った。

 雪と風のためにとても冷えるが、それ以外は特に難になるようなことはなかった。歩くことに慣れていないはずのミーナも、その性格からか終始文句の一つも漏らさなかった。真っ白に繁る林の淵と凍りついた川岸に沿って進み、街を出てからやっと一日が終わろうとしていた。
 街を出る前に新調した小さなテントのなかに二人はいた。食事を済ませ、各々の寝袋で横になっている。本来ならアースは外で夜警でもしていればいいのだが、ミーナの勝手に凍死されたら困るという発言により、結局このように二人で眠る事になった。
 外にいると言い張っていたアースだが、そうと決まると、一人でどぎまぎするのも馬鹿らしいので、首を彼女とは反対方向に寝かせてすぐに眠りに入った。
 長かったであろう眠りの後、不意にアースは目を覚ました。無意識に寝返りを打つと、薄闇の中に長い髪をまとめた頭が横になっていた。考えることは同じなのか、音もたてずに横になる彼女も自分にそっぽを向くようにしてあちら側に顔を向けている。
 数十分の思考の後、結局は霧のかかった頭でやれやれと思い、布の壁に向き直って目を閉じた。
「起きてるのね」
アースは臆病な気持ちを震わせた。それは、はっきりとしていて眠気など微塵も感じさせない声だった。
「今起きたところだ。すぐに眠るよ」
彼の言葉を相手が聞いたかそうでなかったかは分からないが、彼女は寝袋のジッパーを外し、上半身を起こした様だった。音からそれを判断した彼は、何故か恐怖に近いものを感じていた。
「何か考え事でもしていたの?」
 次にその発言を奇妙だと感じた。しかしこれは理由が分かっていた。それは、彼女はこんなタイミングで人に質問をしたりしないはず、と少ない経験による情報が告げていたからである。アースは振り向き彼女の顔を見ることをしないまま言った。
「君はどうして俺と街をでようと思ったのか、それを考えていたんだ」
普段と違う様子の彼女に、口をついて出てきたのはそのせりふだった。何故そんな事を言ったのか自分でもよく分からなかったが、確かに気になっているところではあった。隣のミーナはまた少し不思議に感じられる間をとってから横になり、寝袋のジッパーを元に戻しながら答えた。
「前も言ったとおり、一緒に歩いてもらうためよ。あなたのおかげであの街にはいられなくなったし、元々住むところも変えるつもりだったし」
体を向こう側に転がしながら、彼女はこう続けた。
「それに、両親が行方不明なの。お父さんとお母さんを探したいのよ」
 全身の筋肉が強烈に引っ張られるような感覚が走った。一瞬は息さえ止まった。彼女は自分の両親を探していると言った。そしてアースはその両親を知っている。彼らがどうなったかも。自分が真実を話せば、彼女に旅をする理由は無くなるのだ。
「あなたは弱そうだから護衛にはならないだろうけど、旅をしてきたんなら野宿の仕方なんかはわかるでしょう。個人に頼むのがいちばん安上がりなのよ。キャラバン隊なんかについていくと、値段つけられるの。私、そんなにお金持ってないから……」
 手紙を渡すなら今だ、と思った。彼女から両親の話を持ち出すのは、稀なはずだ。今その話を切り出せば、すべて決着がつくのだ。
 しかしそれは彼女と築いた信頼関係を完全に壊すことを引き換えにしたものだった。今言えばすべて決着がつく。そして同時にこれまで騙しつづけていたことをも告白することになるのだ。アースは先ほどからの恐怖心の正体を見た。アースは彼女に真実を告げるという、本来の目的を達成することを恐れていたのだと知った。自分の真意に、いや、自分をつき動かしていた筈の真意が壊れていたことに気付き、それに愕然とした。
「これまであの酒場でいろんな旅人を見てきたけど、若くて他人に積極的なのはあなただけだった。旅人ってすぐに孤独そうな態度をとるでしょう? あれじゃあ人探しなんて出来ないじゃない。私も人と会話するの苦手だから、ぺらぺらとよくしゃべってくれる旅人を探していたの。あなたといれば、早めに見つかるかもしれない。……あなた、聞いているの?」
 聞いているの、と聞かれたアースはすでに冷静に考える力を失っていたので、固まった唇から再び出任せに返事をした。考えがまとまっていないときに適当に返事をするのは、彼の悪い癖である。
「ああ。はやく見つかるといいな」
 彼女は少しだけ顔をほころばせると、ありがとうと一言だけ言ってその後は喋らなくなった。アースも辛い会話が唐突に終わり、緊張のままわずかな安心のようなものを心に取り戻していた。
 しかし、アースはまだ彼女が先ほどの自分の言葉をどのように解したのか、はっきり分かっていなかった。もしこれが二人の長い旅の始まりだと確信していたなら、彼は決してここで眠りにつく事はなかっただろう。
 二人は眠りについた。そして朝が来るまで目覚めることはなかった。

 その後二人は旅を共にしている。アースはまだ彼女に手紙を渡せていない。しかし二人はいつも一緒なので、いつかは渡せるだろう。