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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

イラク日本人人質映画 カンヌ登場

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2005/05/13/03.html
>昨年のイラクの日本人人質事件を題材に、ボランティアに行った中東で人質となり、
>帰国後、社会から非難を浴びた日本人女性を主人公にしたフィクション。
>10日にイラク武装勢力に日本人が拘束される事件が発生したため、
>人質事件に関しての質問が集まったが、小林監督は
>「政治的なことを取り上げたかったのではなく、弱い者をたたくという日本の社会と、
>たたかれたヒロインの感情を描きたかった」と説明した。


 それはどうかと。
 日本にボランティア文化が根付いてなくて、ボランティア失敗に過剰反応したというのは事実だと思うし、(まともな)ボランティアには相応の価値があるんだから、日本人はもうちょっとボランティアという概念を正しく理解し、受け入れた方がいい、というのはその通りだと思う。
 しかしボランティアだって数ある価値の一つであり、万能で日本がそれを絶対に採択しないといけないというわけでもないのもまた事実。実際日本(人)は莫大な額のお金をイラク問題のために費やしているし、それが税金であり政府の決定ってことを考えれば、国民の総意としてやることはちゃんとやっていました。それに対して「まだ足りないのではないか」「別の方法があるのではないか」と思うのは結構だしそこにこそ組織としてのボランティアの長所があるわけだけど、それは日本人みんなにとっては足並みを乱す行為なわけで、もし失敗した際に責められるのは当たり前だと思う。実際失敗したおかげで要らない時間・お金・労力を払わされたんだし。自己責任論とか一時期はやったけど、正直「論」にするまでもない当たり前のことだと思う。会社やサークルで全体の決定を無視して勝手なことをした挙句失敗したら、そりゃあ叩かれるでしょう。当の人質になった方々には日本という社会を構成している一員であるという自覚が足りなかったと思えます。
 また、態度が悪かった、事件を(家族が)政治的に利用しようとしたことも日本人の感情に合わなかったことも問題ありました。この事件の後に帰らぬ人となってしまった青年の際はご両親が社会的に妥当な受け答えをしていたので、槍玉に挙げられたりしなかったように記憶しています(もちろん心無い人による中傷など皆無だったとは思いませんが、程度の問題として)。だから「日本人は弱者いじめをする」などは、間違った見解に思えます(もちろんそういうこともたくさんありましょうが、人質事件とは関係なかろう、ということです)。
 事物の一面だけを切り離して話にするという方法はもちろんアリですが、この映画の場合その一部によって全体を語られてしまうのは目に見えているんだから、ちょっとどうかなあと思いました。