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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

ササキバラ・ゴウ『それがVガンダムだ』、銀河出版、2004

 『機動戦士Vガンダム』のDVD発売前後に出版された、同作品の解説本です。私はもちろん発売直後に読んだのですが、先日富野由悠季監督の経歴を調べる都合で棚から出して、なんとなくついでに再読してみました。
 この本は大別すると二部構造になっています。前半が著者による各話レビューで、後半は富野監督との対談です。この前半と後半の勢いが全く違っちゃっているのが、この本の特徴です。
 前半はVガン大好きっ子であるササキバラ氏による、愛情と深読みあふれる各話解説で、ある面ほほえましくもあります。で、後半はインタビュイーとして現れた富野監督に、著者の感じたVガンの面白さを徹底的に否定される、という波瀾の展開になっています。正直、読んでて気の毒になってきます。監督、10年越しに解説本出した著者の気持ちをちょっとは汲んでやれよ、という感じです。
 私個人としては、読んだ当時は一人のVガン好きとして「なんかもう読みたくないナ・・・」と思いました。好きな作品が制作者自身によってボロクソに言われれば、ファンとしてはそういう気分にもなります。ですが今回読み返してみると、間に富野由悠季講演会の聴講を挟んだせいか、前回読んだ時より抵抗なく読むことができました。それは監督の人となりや状況が以前よりよく分かるようになったからかもしれません。
 ですが、Vガンダム好きとしてこの本が良著だと言えるようになったかというと、そういうわけでもありませんでした。
 まず、著者の『Vガンダム』観が浅い。各話レビューの方で顕著だけど、「とにかくすごい作品なんだぞ」という雰囲気は散々発するものの、具体的にどこがどう素晴らしいのか書いていない。ウッソが宇宙から初めて地球を見下ろした時、何故もの恐ろしげな顔をしたのか。ザンスカール帝国は何故地球に侵攻を開始したのか。作中で表現されながら、ちょっと分かりにくい点をことごとくスルーしているように私には思えました。著者は本書が初心者用のガイドブックとしても機能するように留意した、とどこかに書いていたけど、そういう難しいところを解説しないと(もしかしたら著者の独り善がりな解釈になってしまうかもしれないという危険性はあるけど)、かえって分かりにくいと思う。そういうはっきりしなさが、対談で監督に「甘い、遠慮しすぎ、はっきり言え」と言われる所以になっていると思う。
 また、著者は「ジャンク」というキーワードに沿ってレビューを進めていくのだけど、私にはそんな一言でまとめられる話ではないぞ、という反感は読んでいる間ずっとあった。そういうまとめ方をしているせいで読み落としていることがたくさんあったように思う。実際これについては対談のほうで富野監督が「わかりやすい言葉でひっくるめるな」と、他者(というか社会全体)を否定するというかたちでやんわり指摘していた。
 また、インタビューを受ける富野監督にもやや問題があったように思う。『機動戦士Vガンダム』という作品が、ダメだ、とは言うけど、その理由として挙げられるのは制作側の都合ばかりだからだ。もちろんディープなファンとしてはそういう裏話が聞けるのは面白いし、インタビュアーがそういう聞き方をしたからそう答えたのだろうけど、作家論として見るでもない、ガンダム的な何かを期待して見るでもない、そういう一般視聴者に対して「この番組はクソです」と言う際のエクスキューズとして「こういう制作背景があったから」というのは適当だとは思えない。監督自身がインタビューの中で言っているように、アニメごときにオタク的になって、むしゃぶりつくように詮索するような見かたはよくないと私も思う。ならばこそ、「こういう大人の事情があったんだよ。だから大人の汚さだけ読み取ればいいんだよ」という態度は、そのストーリーを追って最後まで見た視聴者に対して失礼ではないか。


 この本の原稿をやり取りをする際に、富野監督は著者に「分裂症寸前を自覚して生きようとしたら、カラッポの理が走る。カラッポの知が走る。それがVガンだ。」という言葉を送っている。これは本作品の批評としては的を獲ているように思う(制作者自身のコメントを批評というのもなんだけど)。『機動戦士Vガンダム』というアニメは、とにかく理屈っぽいのだ。理屈に頼るしかない人が、それを振りかざして何かを必死に訴えようとした、という印象は終始付きまとう。富野監督はその後の作品で「そういう理屈っぽさではなく身体的な次元に回帰すべきだ」という意思表示(というか、若者へのメッセージ)をしている。それはホントにそうだと思う。
 だから、監督にとってVガンは認めがたい作品であるというのはよく分かる。でも、社会全体の人が身体性を取り戻していくことが望まれるとしても、個々の人間はどうしても理屈の中で生きていかなければいけないし、それに圧殺されるのを恐れて身体性に逃避するようなことになってもいけない。理屈と対峙することが不可避である以上、持ち得る理屈を正しい方向に用いないといけない。Vガンには悲惨なシーンや理不尽なシーンが頻出するけど、よくよく見ていれば人と人とのつながりによってなんとか切り抜けていく主人公の姿が「理屈っぽく」描かれている。
 私が『機動戦士Vガンダム』を評価するのは、端的に言えばそういう優しい理屈を提示できているからだ。表現的な問題はあるもののそういう優しさは決して「ジャンク」なものということはできないと思うし、「理屈っぽいからクソだ」と切り捨てていい類のものでもないと思う。