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LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

山本一郎「オタクがオタクでなくなるとき」←オタク諸氏はこれを無視しろ。

bunshun.jp

 

自身も戦略対戦ゲームのオタクだったという山本一郎氏の記事を読んで思うことを以下書きます。

 

氏の主張はおおむね以下の通り。

 

  • オタク趣味はいずれ結婚などによって継続しづらくなる
  • オタク趣味は卒業したら何も残らない、むなしさだけが残る
  • オタク趣味以外の人生にとって大事なものの方を優先しろ

 

で、これを踏まえた上での私の主張はタイトルの通りです。

オタク諸氏、特に若いみなさんは今好きなことをもっとやれ。「そんなことやっても意味ないよ、後で見れば空しいだけだよ」などという発言は無視しろ。

 

 

これだけだと具体性皆無なので以下補足します。

 

  • オタク趣味はいずれ結婚などによって継続しづらくなる

→これは人による。

 私の経験でいえば、確かに制限がかかった人はいる。高校の後輩(証券マンのアニオタ)は、奥様の意向によりエロコメ系の視聴は制限されているそうだが、ストーリー性の高いものについてはむしろ夫婦で楽しんだりしているそうだ。

 

 別の友人は経営者で田村ゆかりの追っかけをしていたが、結婚したことで完全に活動できなくなってしまったため離婚した。今は会社は人に任せて隠居生活をしつつ、田村ゆかりのおっかけをしている(最近ライブをしてくれないので困っているようだが)。

 

 またある友人は夫婦ともにドラゴンクエストX(オンラインゲーム)のプレイヤーだったが、結婚後も今もそのままである。むしろ嫁の母も一緒にプレイしている。破水してる最中も夫婦&母でプレイをやめなかったというのには流石にビビった。

 

 かくいう私もアニメ好きで、嫁はかつてはコミケにサークル参加するくらいだったものの今は卒業した、と思っていたが、今年夫婦共にけものフレンズにはまった。他のアニメの場合は渋ることもあったグッズ購入やイベント参加も、けもフレについては嫁の方が積極的である。

 

 というわけで、昭和の時代ならいざ知らず、現代においては結婚しても別にオタクをやめる必要ないし、むしろ辞める必要のない相手を探すことの方が重要である。

 

  • オタク趣味は卒業したらむなしさだけが残る

→一見まっとうに感じるが、よく考えたらオタクに限らず、あらゆる趣味・活動に当てはまる。ピアノを弾こうが将棋を指そうが、全部やめれば無どころか費やした時間とお金の分だけ無駄である。

 「いやいや高尚な活動は人間性を磨いたり考えを深めたりできるじゃないか」と思うかもしれないが、それはオタク趣味だって同様だ。

 私の友人は幼少の頃から漫画を描くのが好きだったが、今はプロの作家だ。もし彼が人生のどこかで「漫画なんて無駄だ」と思ったなら、プロとして多くの受け手に物語を届ける人にはなっていないであろう。

 

 もっと言えば、そもそも人生そのものだって死んだら何も残らないのだから、究極的にはあらゆるものは無駄である。「いずれ冷めるからやめとけ」というのは、「いずれ死ぬんだから今死ね、そもそも生まれてくるな」というのと一緒だ。

 氏の言う通り、冷めた時の寂しさはもちろんきついものがある。が、それは熱い情熱や楽しさを否定するものではない。

 

  • オタク趣味以外の人生にとって大事なものの方を優先しろ

 これも一見もっともらしいが、氏の文章では"人生で置き忘れてはならない大事なもの"と示されたものが何なのかが一切書かれていない。

 強いて憶測するなら、何度もオタク趣味との対比として出てくる「結婚」あたりだが、これは上記の通り両立できないものではない。

 2、30年くらい前は、オタク趣味というのは非常にニッチでオタクは日陰者だった。パートナーを探すのも難しかったのだろう。でも今はオタクであることの社会的抑圧はずいぶん弱くなった。パートナー探しだって昔に比べればずいぶん容易になっただろう。天秤にかける必要はない。

 

 というわけで、氏の主張は、結婚観とオタク観が2、30年間アップデートされてねーんじゃねえの? で片付くことであり、真に受けるべきものではない。

 

 

 最後に。

 氏の言う通り、オタク的なものから卒業するのは、とても寂しいものではある。周りから同好の志がひっそり消えていくことも、自分の内なる情熱が覚めていくのも、正直ツライ。

 だけど、それを終わった後に「無駄だったでしょ?」と言うのは傍観者の視点であり、面白おかしく熱中している最中の当事者には全然関係のないことである。

 

 

 涼宮ハルヒの憂鬱というラノベを読んだことがあるだろうか?(アニメ版でもいい)

 いいも悪いもなく、とにかく面白いことをする! という主義の涼宮ハルヒを冷めた目で見ていた主人公のキョンが、その「面白いこと」に主体的にコミットしていくようになり、自己のアイデンティティを肯定していく物語である。

涼宮ハルヒの憂鬱<「涼宮ハルヒ」シリーズ> (角川スニーカー文庫)
 

  ハルヒキョンが最初っから最後まで「こんなの面白くもなんともねえや」という高校生活を送っていたら、それは果たして面白い物語になるだろうか?

 もしくは、ハルヒのやった映画撮影や野球大会参加は無駄と言えば無駄かもしれないが、彼らや受け手にとって、本当に全く意味のないものだろうか?

 

 キョンハルヒが大人になった時「ほんとあれは意味なかったね!」というのは別にいい。ハルヒダンスに打ち込んだりエンドレスエイトを耐え抜いてあれやこれや考察した事を、ファンが後年「あれは今考えると恥ずかしい」というのもいいだろう。

 でもそれを当時も今も傍目で見つつ何もしないで「無意味だ」「どうせ後で冷めるからやめとけ」などというのは相当カッコ悪いことであるし、そっちの方が何の意味もないと言えるだろう。

 

 

 オタク諸氏、特に若いみなさんには、自分自身のやりたいことを好きにやって打ち込んでほしい。いつか熱が冷めて空しくなるかもしれないが、先のことを考えて遠慮するのはやめて、むしろ共有できる仲間を探すことに時間と手間を割いてほしい。

 

 キョンハルヒになれ。山本氏にはなるな。私が伝えたいのはそういうことです。

 

 

(おわり)

 

 □過去の記事

ishijimaeiwa.hatenablog.jp

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