LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

コンテンツジャーナリズムを無礼るな! 〜サンライズの「銭ゲバ」体質について〜 を読んで。

http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=268
 Half Moon Diaryさまより。

 ではアニメ誌やゲーム誌は何のために記事を作るのか? 最大の目的は自分たちの雑誌を売ることですが、それだけでは決してないと、僕は思うんですよ。いい作品を読者に紹介することで、読者の目を肥やし、業界全体の質を高める。それがアニメやゲームといったコンテンツジャーナリズムの存在意義なのではないかと。


 正直申しまして、マスコミによるいわゆる普通のジャーナリズムでさえ資本主義の前には理念と本質を曲げざるを得ないというのに、そもそもビジネスが前提であるコンテンツ関連の雑誌社が"ジャーナリズム"を遂行するというのは、非常に厳しいと言わざるを得ません。しかもブログ等の個人〜小規模集団レベルによる小さなメディアならいざ知らず、雑誌というマスコミが主体では、事実上不可能と言っていいかと思います。
 20年位前ならアニメージュアニメック、ジ・アニメなど"コンテンツジャーナリズム"と呼べなくもない内容のアニメ雑誌がありました。作品をただ褒めるだけではなく批判したり、注目されていない作品や作家に光を当てたり、また特集やコラムなども作家性や編集者の個性丸出しな物が数多くありました*1。そこから"読者の目を肥やし、業界全体の質を高める"といったことがまだ現実的でした。
 しかし80年代の末期以降、アニメ権利保持者側の力が強くなり、アニメ雑誌は情報誌化(と言えば聞こえはいいですが、つまるところ提灯持ち化)していきました。「うちの作品を批判するなら情報あげないよ」と言われてしまったらニュースを掲載できなくなってしまいますから。しかもコンテンツホルダーである放送局や出版社の力は他の関連企業にも及ぶので、およそアニメと関連のある会社をスポンサーにつけることができなくなってしまうのです。「アニメ批評」というそれこそ"コンテンツジャーナリズム"を標榜した雑誌が創刊3号で廃刊になったのには上記のような経緯があったと言われています。


 というわけで"いい作品を読者に紹介することで、読者の目を肥やし、業界全体の質を高める。"ことは崇高な理念ではあり得ても現状「存在意義」とは言えません。とてもじゃないけど「コンテンツジャーナリズムを無礼るな!」などと言える立場でないことは、実際に雑誌を編集している方々が一番よく分かっているのではないでしょうか。そして、元の記事はそのようなメディア側とコンテンツホルダーのジャーナリズムを放棄した共犯関係を前提として書かれているように思います。
 人気のあるキャラを表紙にしないと成り立たないから金を払ってでも使わせてもらっているのです。もしなめてほしくないなら、サンライズに金を払ってご機嫌取りの記事を書いたりせず、天体戦士サンレッドを表紙にして特集でも組めばいいのです。

*1:アニメージュの』編集だった鈴木Pが、当時まだ知る人ぞ知る程度の存在だった宮崎駿の特集を組んで売上部数に大ダメージを出したのは有名な話です。