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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

みなさまへの感謝とオタク談義のその後。

http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/05/post_78fa.html#comments
http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060527#p1
 ここ数日間で、これまでいただいたことのないような数のTBをいただきました。昨日の日記(?)をたくさんの方が読んでいろいろ考えてくださったようです。ありがとうございます。これからはもっといい文を書きたいと思います。。。


 で、岡田斗司夫氏のブログのコメント欄に本人名義で新しい書き込みが。もちろんコメント欄なのでカタりかもしれませんが、それっぽい内容なので紹介します。
 内容は「私がオタクが薄くなったからダメだとか、そういうことじゃないよ」「言いたかったのはアイデンティティの問題だよ」ということみたいです。私自身間接情報から記事を書いたので、もしいろいろ勘違いしていたとするとなんとも恥ずかしい限りです。


 しかし今回再確認したのは、岡田氏の論点と私の論点はちょっと違うのだな、ということでした。私の興味の対象はアニメだったり漫画だったり特撮だったりという個々の消費文化*1とそれを支える受け手や供給者との関係、そしてそれが今破壊されようとしていることであって、それらを広く楽しんでいるオタクという人々がどう生きるべきか、のようなオタク(という人たちの)文化というものの死についてはあんまり興味がなかった、ということです。興味があるのは「オタクを伴う文化(=消費文化)の死」についてであって「オタクの死」についてではない、とも言えます。
 もちろん優れた受け手がいないと文化そのものもダメになってしまうと思いますし、問題の根幹の一つだとは認識しています。が、受け手が必ずしも岡田氏の考えるようなオタクである必要はないとも思います。江戸時代の歌舞伎とか見ても、浅く粋に楽しんでいる人もオタク的にどっぷり漬かってた人も両方いたみたいだし、受け手の幅が広いことはそれだけ文化の規模がデカいとも考えられます(…というようなところは、マイナー志向のオタクとは立場を異にするところかもしれません)。
 ただ、何者かによって文化が消されてしまうことには断固抵抗したいです。ですからその過程として受け手の幅が狭められている(=オタクの死)という事象があるとすれば、私はそのことも問題にしたいと思っています。実際アニメなどの諸消費文化の仮想すべき敵は80〜90年代の「世間という権力からの弾圧」という素朴で分かりやすい相手から、いつの間にか受け手の意識すら操作してしまう商業主義へとシフトしています。私には「オタクの死」という事象は「オタクを伴う文化の死」の過程の一つと思えるのです。
 以後、岡田氏の言動などにも気を配りながら、自分のテーマについて深めていきたいと思います。


 以下TB先の方々の記事を読んで。
・たしかに商業主義が完全にオタクや消費文化の敵というわけではないですね。お金の動きナシに消費文化は成立しませんから、理想的には持ちつ持たれつです(もちろんこれは相手が権力の場合も同じ。持ちつ持たれつで完全な敵というのではありえません)。
 ただ、現在流行のアニメビジネス・コンテンツビジネスの波はオタクや消費文化と二人三脚していく気はなく、焼き畑農業のようにアニメバブルで一儲けした後、その文化を破壊しつくしてしまっても何にも気にせず次のネタを求めて去っていく、そんな気がするのです。
・世間様もオタクの敵として未だ機能しているというのは、部分的にはありますね。やはり人によっては引きますし、その話題を出すのが適当でない場はたくさんあります。ですがオタクそのものを変質させるほどに受け手自身の意識を変え、団結することすらさせない、というか団結しないとと思わせることすらできなくする商業主義の操作能力のほうが現状ずっと恐ろしいと思えます。あの一連のハルヒ運動さえ、どこかで本屋さんやCDやさんに仕組まれたものであるとしたら…とか考えると身の毛もよだちますね。
・で。こんな駄文を書いて世の中に参加・貢献できたと思えるくらい力を奪われていること自体問題だなあと痛感します。このテーマを小説を書く際の題材に転換するなり、むしろ論文にまとめるなりすれば、地球だって救えたのに!(『機動戦士ガンダムZZ』からのどうでもいい引用)


 とにかくTBくださったlynxさん、猫本さん、yas-toroさん、sirouto2さんをはじめ、読んでくださったみなさんありがとうございました。こういう件ではこれからもお目汚しすると思いますが何卒よろしくお願いします。

*1:一部の大衆文化と言ってもいい。昔は「サブカルチャー」と呼ばれた諸文化のことです。ただ私個人それらの文化をサブカルチャーと呼ぶことには疑問を抱いているので、消費文化というちょっと耳慣れない言葉を使わせていただきました。