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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

オタク is Dead

http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060524#p1
http://d.hatena.ne.jp/ADAKEN/20060525/1148484907
 私の研究テーマにも深く関わる問題なので、興味深く読ませていただきました。
 アマチュア的なプライドを持って情報を収集・解釈・発信せず、ただ商品を買うだけの「消費者」は岡田氏の考える「オタク」ではない、ということだと思います。物事の定義が変わっていくのを嘆いてもしょうがないと思うのだけど、彼が嘆いたのはオタクの死そのものではなく、それがオタク文化の死につながるからではないだろうか、と私は思います。


 アニメビジネス、コンテンツビジネスが隆盛を誇っているのは現実を見れば分かりますが、そういうビジネスが巧みであればあるだけ受け手は「何もせず」「お客様のように」お金を使うだけでオタク文化を楽しむことができます。アニメや漫画を見、サイドストーリーやエロはネット通販か専門店で入手した同人誌で補完し、立体物が欲しくなったら完成度の高いフィギュアやおもちゃを買う。多くの場合ゲーム化もされているし、ネット上ではいくつものファンサイトで議論や意見が交換できる。
 これだけ楽しめれば、自分が創造する必要はどこにもないわけです。
 これが昔であれば、同人誌は主に即売会でしか買えなかったので入手のためにはアマチュアによる売り買いの世界に入らなければならなかったし、立体物なんて一部のガレージキットしかなかったから自作する他なかった。同じ作品のファンと触れ合うためには、自分からアクションを起こしてコミュニティを作る/参加する必要があった。ゲームに関しても自分でプログラムを配布するか、もしくはTRPGのコンベンション*1を開催する必要があった。
 つまりオタク関連の商品はオタクによって売り買いされる他なかったため、消費者であると同時に経営者、制作者である必要があったのが氏の言う「オタク」のイメージなんだと思う。実際彼は『愛国戦隊大日本』『王立宇宙軍』などいくつも作品を作っているわけだし、その原動力がオタク心に他ならないのは作品を見ればよく分かる。
 で、企業がオタク関連商品…これはメイド喫茶なども含むような広義で捉えてほしい…に手を出し、洗練された手法で需要を喚起し、満足させはじめたらどうなるか。オタクは自ら作り発信する事をやめ、企業に飼い慣らされてしまいます。←今ここです。
 そして次に来るのは受け手のレベルの低下であり、その次は個々の作品の質の低下*2、さらにその次が文化そのもののレベルの低下です。企業は文化を創造してはくれません。儲からなくなったら手を引くだけです。アニメ・コンテンツバブルの崩壊後に残るのはスカスカになった作品群と不良債権を抱えた○○喫茶(○の中身はメイドでも巫女でもなんでもいい)の経営者だけになるかもしれません。
 氏の涙はその辺りまで見越してのことなんだろうなと思うし、私は曲がりなりにもそこに関わる研究者なのだから、それをどうにかしないといけない。そういう危機感を持って修論に取り組みたいな、と思います。



 あと、これについて考えてて気付いたんだけど、ネットが普及して個人の情報発信の敷居が下がった、というのは、ことにオタク作品という面で言えば嘘だな、と思えます。確かに『スキージャンプペア』や『ひぐらしの鳴く頃に』、新海誠氏の諸作品など一見現在でないと不可能だったと思われるアマチュア作品は数多くあります。が、20年前だって上述の大日本や『農耕士コンバイン』など数多くの作品が作られていました。新海氏の作品が当たった時に「お、これでアマチュアの時代が来るか?」と思ったのだけど、みんなすごいすごいと見たり買ったりするだけで自分で似たようなものを作ろうとはしなかった。結局情報化は一部のトップを目立たせるだけで、他の人たちのやる気を喚起したりはしないのではないでしょうか。むしろ一部だけが目立つことによって「やっぱメジャーになるだけの作品はすげえな、俺には無理だな」と諦めを助長しているようにも思えます。
 あと、このブログみたいに「作品」とはとても言えない垂れ流しを可能にし、何かを言いたい、作りたいというパッションを「作品」と呼べるレベルにまでもっていくことを阻害している、とも思えるのです。

*1:みんなでゲームをする大会のようなもの。

*2:もしかしたら今ここかもしれません。