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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

本の虫「日本国が危険な自主規制社会に突入しようとしている 」そうかなあ…

http://cpplover.blogspot.jp/2012/07/blog-post_16.html
 自由ソフトウェア主義者の江添亮氏によるエントリー。詳しくは上記リンク先から読んでいただきたい。
 江添亮氏の主張は主に二つで、要約すると


1:エロ広告の法的規制に関しては慎重になるべき。
2:エロ広告は送られてくる元をどうにかするのではなく、各人が手元で非表示設定すればよい。

 ということかと思います(いささか乱暴な要約ですが)。


 個人的には、1に関しては同意です。表現の自由猥褻物陳列罪との間の加減は難しいですが、私はそもそもこの猥褻物陳列罪というものの根拠がよく分かりません。「エロいものを見るのが嫌な人もいるでしょ!」ということだったら、単に「公共の福祉に反している」というジャッジで十分だと思う。
 エロいものが巷に氾濫していることが風紀や治安を乱す、というのは、なんとなくだけど想像できなくもない。けど、エロいものが溢れかえっていることと、エロいものが目や手に触れられない状態にあるのでは、どっちが社会として健全なんだろう? 特に現在のように出生率がじゃんじゃん下がっていることを鑑みれば、ちょっと緩めて開放的にしてもいいんじゃないか? むしろ、誰が損するんだ? とさえ思う。


 一方、2に関してはどうかなあと思う。江添亮氏の主張の通りであれば、データとコンピュータの関係はそのまま番組とTVの関係に置き換えられるはずだし(見るのが嫌ならTVを消せばよかろう)、だとすればTV局は何でも放送してOKなはず。TVも携帯も公共の電波帯を利用しているんだから、同程度の自主規制はあってしかるべきだと思う。


 なお、個人的には携帯に無理やり表示されるエロ広告は、操作する上で邪魔なため心理的に相当ウザいので、どちらかというと上記リンク先での高木浩光氏の方に共感します。ただ、エロいからダメ、性暴力(?)だからダメ、なのではなく、ウザいからNGというところは違いますが…これがNGな理由は、やっぱりTV番組の「いいところで切ってCM」「CM明けに何かあると思わせておいて何もない」がウザいからNGなのと似ています。個人的感覚としては、猥褻物陳列罪に引っかかっているのではなく、ダイレクトに公共の福祉に反しているという感じです(前者は刑法ですが、後者は憲法にひっかかってます)。
 なお、TVに関しては、結果、私はその手のTV番組を見なくなりました。携帯のエロ広告も一緒で、そういったコンテンツをことさら表示してくる媒体は、なるべく利用しない方向になっていくかと思います。


 ささやかなものですが、そういったTV番組やWebサイトは、いしじまえいわという顧客を逃してしまっているわけで、本来そういったことを避けるために「自主規制」があると考えるべきです。


 つまり私が今回言いたかったことは「自主規制の問題を、なんでも表現の自由との対比で論じるべきではない」ということでした。リベラル派としては"自主規制"って特に脅威だと思いますが、そういう態度って、議論の本質を見失わせる気がします。


福祉の公共哲学 (公共哲学叢書)

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