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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

togetter「外国人は「あなたの作品はどこで買うことが出来ますか?」日本人は「私にもちょっと描いて」って平気で言う。この芸術に対する意識の差は大きい。」の原因とそこに潜む大きな問題。

http://togetter.com/li/333030?f=tgtn

FBで外国人の方は「あなたの作品はどこで買うことが出来ますか?オンラインショップしていますか?」と聞かれることが多いけど日本人は「私にもちょっと描いて」って平気で言う。この芸術に対する意識の差は大きいと実感する。
返信する takatayukorin05


 というつぶやきに関する反応あれこれ。以下、その原因に関するつぶやきです。

そもそも日本人は芸術に対する価値を低く考えていますね。絵を「紙」ぐらいにしか思ってない人も居ることは事実です。
takatayukorin05

国自体が芸術家を支援してないですしね。私の父が言っていましたがスポーツのニュースは毎日あるのに芸術のニュースは全然ないと・・・。その辺に国民の芸術に対する意識の低さが分かりますね。
返信する takatayukorin05

そうですね。どの分野でもそうみたいです。プロに対する意識が低いと思います。 takatayukorin05

ありがとうございます!目に見えないものに対する価値を低く捉え過ぎていると思います。 takatayukorin05


 上記は元のつぶやきをした方のお考え。

オリジナルを創ることは魂の技ってこと知らんのやわ。うちはタダ取りお断り、でも創る楽しさは喜んでシェアしたい。@takatayukorin05 芸術に対する意識の差は大きいと実感 monsiro_tyou

「誰かの役に立ちたい」「お金の問題ではない」という日本人がとりわけ強く持つ「情」が日本人ならではの感性を育んできたことは確か。しかし、それが甘えになり生まれてしまたった感覚だと考えます。本末転倒。技術に対する敬意について、見直したいと思います! TAISHI_IWAMI


 こちらはレスとつけられた方々のお考え。



 で、以下私のお考え。



 前提として、以下「外国人は作品に金を払う、日本人は払わない」が真だったとしての話です。
 掲題なようなことが起きる原因は、「日本には作品があふれているから」「ビジネスの教育がないから」の二点だと思います。


 まず前者。たとえば私の古い友人には絵や漫画が凄く上手いのが数人いましたが、彼らは小学校の頃から、私に「欲しい!」と思わせるものを作ることができました。
 海外で作品と呼べるものを作れるようになるまでには、元記事にある通り多くのお金や時間を費やす必要があるようですが、日本では小学校のクラスの中に既に「将来(プロの)漫画家」「将来(プロの)イラストレータ」を自負する、または期待されるレベルの人がごろごろいる*1ので、これは恵まれたことに、海外と違って作品の作り手の価値が相対的に低いわけです。
 というわけで、一つ目の理由は、日本が作品を生み出す環境に恵まれた土地だから、ということでした*2


 次の理由。上記の通り、小学校の頃から購入したいレベルの作品は溢れかえっているわけですが、その時点で私たちは「自分のスキルやアウトプットに値段をつけて販売すること」「自分の判断でものやサービスを自由に買うこと」を許されていませんでした。
 資本主義の原則としては、価値を生み出せるようになった時点でそれを販売する方法も学び、実際に販売し流通させることが社会を健全にすると考えるべきですが、残念ながら日本の義務教育ではそういったことは教えないため「何か作る、面白いことをする」「でも売る方法が分からない」「結局『タダでくれ』『タダでやる、またはあげない』」となってしまうわけです。そしてそういった商文化が、成長してもそのまま常識になってしまうわけです。
 リンク先では「タダでくれ」と言う側に問題があるように捉えられていましたが、私としては「タダか否か」でしか判断できない作品提供側にも問題があると思います。
 この問題もまた日本でこそ有り得る事態だと考えられます。というのも、先に上げたように、海外では価値を生み出せるようになるまでに相応の時間がかかるため、それまでに自分の持つ価値の流通させ方・お金に換える方法を学ぶことができますが、日本ではそのタイミングが早すぎるため、価値があるけどお金に換えることができない、というミスマッチが発生してしまうのだと考えられます。


 ただ、二つ目の原因はもっと由々しき問題を抱えています。
 日本では「自分の価値をお金に換えること」を学ぶ機会が、実は義務教育が終わった後も乏しいため、大人になっても自分の才能でお金を稼ぐことがなかなかできないわけです。元の問題に戻りますが、Fbで「あなたの作品はどこで買うことが出来ますか?」と聞かれて、みんな「ここです」と答えられるでしょうか? 自分でオンラインショッピングをやっていたり委託販売をやっていたり、もしくは既にプロだったりでちゃんと「ここで買ってね!」と言える人は流石です。でも言えない人も多いんじゃないでしょうか?
 私たちはもっと自分の才能や作品をお金に換えてもいいはずです。素晴らしいコンテンツが作れるのに、仕事に追われて発表できず作品が埋もれるということがあっては、小さく言えば個人のチャンスロスですし、大きく言えば社会的損失です。
 日本ではありふれていても、海外ではレアなケースもあります。たとえば、日本の青年が海外の空港の待ち時間でなんとなく萌え絵を描いていたら、気付いたら人だかりができた、という話は複数聞きました。そこにお金を発生させることは、何も悪いことではありません。


 この責任は、そもそも義務教育課程にお金や財の生み方、流通させ方のカリキュラムが入っていないこと、入っていたとしても今の先生には上記のような才覚がないため教えられないことに問題があると思います。私は確か「学校内でお金のやり取りをしてはいけません」と言われていました。これは、フェアなトレードの仕方の教育やアンフェアなトレードが発生した際の対処に労力を割けないというだけの話で、そのためだけにコンテンツ大国である日本人がコンテンツを流通させるスキルを学べないという大きな経済的損失を被っているわけです。普通に考えれば社会・経済の授業で学び実践するべきだし、そうでなくても倫理の時間とかを使えばいいだけの話だと思いますが…
 実は「いじめが発生しても、監督側にそれを管理するスキルがない、問題を放置した方が義務教育を提供する主体にとってコストがかからない」という、今流行りの問題とも根底は同じ「教育の組織の問題」なのですが、今から責任どうこう言っても始まりません。


 大人になってしまった私たちは、他人の「買いたい」「くれ」というスタンスにどうこう言うよりは、自分で自分の能力をお金に換える方法を学び実践するべきだし、子供ができたときに彼らに作品作りや価値を生み出す才覚があれば、それをお金に換えて流通させる方法も教えてあげるのがいいかと思います。


 ※なお今回の件では「日本に本当にアートはあるのか」という問題は、長くなりそうなので省きました。


pixiv年鑑2011 オフィシャルブック

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 絵の分野は本当にすごいよなあ。若い人は魅力的な作品をたくさん作ってファンを獲得しています。
ヘタッピマンガ研究所R (ジャンプコミックス)

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 漫画も、だいたいクラスに一人か二人は「将来漫画家だ」という人がいるってのは実は驚異的。


 そういや小学校時代の友人は、実際にプロになってしまった。そういったジャパニーズドリームが有り得ちゃうところも驚異的。

*1:ついでにいうと、「(プロの)」を取り除けば、彼らは既にれっきとしたアマチュアの「漫画家」「イラストレータ」であったわけです。そんな人たちが身近にぞろぞろいれば、相対的価値なんて下がるに決まっています。

*2:余談ですが、私はゲームを作るのがうまかったので(今思い出した)、「ゲーム作ってプレイさせるから絵をつけてくれよ!」ということで友人に絵を描いてもらっていました。タダで描いてもらったことも多かったですが…