LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

夢見る者たちの楽園 ファンタジア「動く心」

 ミーナは荷物を下ろし、大空を仰いでその感想を素直に述べた。
「今日は、こんなに夜が光って見えるよ」
 頭の上には雲一つ無く晴れて透き通った夜空だ。遙か宇宙の恒星達は思い思いの光でその壮大なスクリーンに美を与え、手を伸ばせばその中に納まりそうなほどすぐ近くに浮かぶ月は昼間の太陽よりも強く輝いている。こんな夜には、きっと全ての人々が自然の洗礼を受けて素直になれるのだろう。ミーナはそんな事を考えた。
 アースとミーナは今日もかなりの距離を歩いた。最後に町を離れてもう九日になる。二人の持っている地図が正確な物であれば、あと四日程で次の町に着くだろう。それまではいつもと同じく、ただ歩くことになる。道中の間は楽しいと思える事はあまりに少なく、娯楽といえるような事は何一つない。年頃の娘であるミーナにとってはそれだけでも苦であるというのに、さらに嫌でも一日中歩かなければならず、そのうえ怪物や猛獣、果ては賊に襲われ、相手をしなければならなくなる事になることもたまにある。このように、旅を続ける事は艱難辛苦が多すぎる。しかし、普段が辛いからこそ、ちょっとしたことで素直に感動し、心を満たすことができるようになる。仮にいつもが満たされた生活なら、この世界最大の芸術品もただの闇になってしまうだろう。
 アースのほうはもう歩くのを止めて、岩と草以外には何もないこの荒野で一晩明かすつもりらしく、荷物を下ろしてテントの設置にはいっている。いつもの事だが、彼は半分以上ミーナのために重たいばかりのテントを携帯し、寝床を作ってくれる。何故なら、彼女が頼めばその外で寝袋で寝てくれるし、やはり頼めば中で寝てくれるからだ。彼はごく親しい仲であり、年下でもあるミーナに対しても、彼女が女性である事を忘れていない。いつになく美しい夜空のおかげでそのいつもの常識を初めて知ったような気がして、ミーナは彼に少し感謝した。
 頬を冷やかな夜風が撫でていった。
 昔、冷たい風にまつわる物語があった事を思いだした。懐かしい思い出のようなものであるその物語を蘇らせ、彼女はそれを感謝の気持ちと共に彼に伝えることにした。
「アース、今晩は私がお話をしてあげよう」
機嫌のいい時の彼女なりの話題の出し方である。それを普段から十分に知っているアースは、テントのロープを結ぶ手を働かせたまま返事をする。
「へえ、ミーナも詩人みたいな事するんだな。興味あるよ、どんな話なんだ」
「私がずっと昔に作った話。小さな女の子が主人公の話なの」
ミーナは近くにあった手頃な大きさの岩に腰掛けた。テントの建設に勤しんでいるアースをじっと見つめ、物語を語りはじめた。
「舞台は北の国。真冬だから、建物は真っ白で、道には雪ばっかり降ってて、人は皆、家のなか。その雪の向こうから女の子が歩いてきます。その子はぼろぼろの上着を着ていて両手で大きなパンが三つ入った紙袋を抱えています。この子はたった今、パン屋で買い物をしてきたところです。この子の家はお父さんもお母さんも仕事が忙しいのに、あまり裕福ではありません。そこで今日は特別、貯めていたお小遣いをはたいてパンを三つ買ってきました。後は家に帰るだけ。家に着けば、三人で楽しくパンを食べることができます。で、その子が家へ帰る道を歩いていると、雪のなかから一人の腹を空かした羊飼いが現れました。パンの入った袋を持つその子を見つけると、腹を空かした羊飼いは『私はお腹が減って倒れてしまいそうだ。可愛い、いい子よ。私にそのパンをおくれ』と言いました。その子はパンをあげたくなかったので『このパンはおとうさんとおかあさんにあげるものなの。だからあげられないの』と答えました。すると腹を空かした羊飼いは少し考えこう言いました。『じゃあ私は君にふかふかの上着をあげよう。そして君は私にパンをくれるんだ。そうすれば君はもう寒くない。私はお腹いっぱいだ』ってね。その子が着ている上着は穴だらけで、生地は薄く、ちっとも寒さを防がないものだったの。その子は寒いばかりだったんだけど、少し考えて『わたしは寒いのは嫌だけど、家にはおとうさんとおかあさんが待ってるの。わたしがパンを持って帰らなかったら、きっと悲しむわ。だからあげられないの』と言ったの。その言葉に、腹を空かした羊飼いはいたく感動して『そんな君からパンをもらうことはできないな』と言って、その子の前から消えようとしたの。だけどその子は彼に、紙袋からパンを一つ取り出して、それをあげたの。腹を空かした羊飼いはその子に大いに感謝して、雪のなかへと消えてしまいました。女の子は満たされた気持ちで家への道を歩きだします」
「おい、ちょっと待てよ」
 楽しそうに物語を話していくミーナを、テント建設作業中のアースが遮った。
「じゃあ、その女の子はパンはあげたのにコートはもらわなかったのか?」
その問いに彼女はすぐに答えた。
「そう。この子要領悪いのよ。で、パンが三つから二つになってる事に気付くわけ。がっかりしたでしょうね。それじゃあ、三人で一つずつ食べられないんだから。で、いろいろ考えて、結局その子は、自分は食べてから帰ったということにして、お父さんとお母さんに食べてもらうことにしたの」
「いい子なんだな」
「そうでしょう。続けていい?」
 彼の頷きに少し息をつぐと、再び話をしはじめた。
「その子が家へ帰る道を歩いてると、今度は雪のなかから一人の腹を空かした薬売り現れました。パンの入った袋を見つけて、腹を空かした薬売りは『腹が減って死にそうだ、お嬢ちゃん、私にそのパンをくれ』って言ったの。その子はやっぱりあげたくなかったから『ごめんなさい、このパンを待っている人がいるから、あげられないの』と答えたの。でも、薬売りはどうしてもそのパンが欲しかったから、前の人みたいに交換条件をつけて、こう言うの。『それではこうしよう。私がしもやけを治す薬を君にあげよう。これで君はもう痛くもかゆくもなくなる。私は腹いっぱいになれる。どうだね』ってね。その子の耳や指は寒さに赤く膨れてて、かゆくて擦るとぼろぼろになって、裂け目から血が出ることもあるくらいだったの。だけどその子はこう答えました。『私は痛いのやかゆいのは嫌だけどおとうさんとおかあさんが待っているの。痛いのやかゆいのが治るより、喜んでもらいたいの。だから、あげられないの』その言葉に腹を空かした薬売りとっても感動したわけ。『それなら仕方ない。君からパンを取ることはできんな』そう言って腹を空かした薬売りはそこから去ろうとしたんだけど、その子は歩いていこうとする彼に同情しちゃって紙袋からパンを一つ取り出してそれをあげるの。腹を空かした薬売りは多いに感謝して、道の向こうへと行ってしまいました。気が付くと三つあったパンが一つになっています。やっぱり今度もその子はがっかりしました。これではますますみんなで食べられません。その子は考えました。そして、一つのパンを三人でわけて食べることにしました。そう決めて気を取り直したその子は、また歩きだしました。その子が大きなパンが一つ入った紙袋を持って家へと道を歩いていると、こんどは雪の向こうから一人の腹を空かした強盗が現れました。パンを見つけた強盗は、ぎらぎらした目をしてその子に『娘や、俺は腹が減った。そのパンをよこせ』って言いました。その子はあげたくなかったので答えました。『駄目なの。もうこのパンはあげられないの。家に持って帰らなければならないの』腹を空かした強盗は、まさか小さな女の子が反論してくるとは思わなかったから少し怯んだんだけど、すぐ調子を取り戻して怒りだして、低く響く声でその子を脅しにかかりました。『早く出さないと、痛い目にあうぞ』とか言ったわけ。勿論その子は心底それを怖がったの。いつのまにか瞳にはうすく涙が浮かび、体はがくがくと震えてきました。紙袋をぐっと抱きしめると中から大きなパンがふっくらと腕を押し返してきます。その子はそのパンの感触が優しく感じられて、それを絶対にあげたくなくなって、勇気が出てきたの。腹を空かした強盗は、その子に手をつきだして『さっさとしろ。殺すぞ』って言ったんだけどその子は涙をこらえて答えました。『あなたはわたしからパンを取ることはできないわ。あなたがわたしをたたこうとしたら、きっとおとうさんがわたしを助けにきてくれるわ』と。どうしてかその時お父さんがでてきたのね。多分、その子の勇気の象徴みたいな存在だったんでしょうね、お父さんが。でも腹を空かした強盗にはそんな事分からないから、その子の台詞は腹を空かした強盗を唖然とさせました。しかし彼は少し考えると、頭を手で押さえて妙に大笑いし、言いました。腹を空かせた強盗は知恵を使うことにしたの。『実はな、俺はおまえの親父とは、友達なんだ。今も、二人で一緒に人を殴って物を盗んできたところだ。親父は来ない。さあ、よこせ』ってね。上手な嘘のつき方だと思わない?一番信頼してるものを逆手にとったのよ。でもその子は変な子でね、それで絶望しなかったの。その子は腹を空かした強盗が本当に怖かったんだけど、彼の嘘のほうがそれよりずっとショックで、その子はむきになって恐れも忘れて答えたの。『それは嘘よ。わたしのおとうさんは人をたたいたり、物をとったりしないわ。だから来るわ』『いや、本当だ。来はしない』『嘘よ、絶対に来るわ』腹を空かした強盗はとうとうそんな子供と言い合いすることと空腹感に我慢できなくなって、妙に強がるその子の頭を殴ったの。その子は冷たい雪に弱っていたのか、すぐに意識をなくして、パンの入った紙袋を抱いたまま雪の上に倒れてしまいました」
「もしかして、それでその子が死んだりしてこの話はおしまいなのか?」
「まさか。どうしてそんな事を言うの?」
「いや、それで終わりだったら救いのない話だな、と思って」
「変なふうに心配しすぎよ。私はハッピーエンドが好きなんだから」
「この話もそうなのか」
ミーナはその細い瞳をぱっと開いて微笑んだ。
「それは最後まで聞けば分かるのよ。人の体から元気を吸い取っていく雪が、ゆっくりと温かいお布団に変わっていきます。目に見えるものは、自分の顔めがけて雪を降らす白い空から、優しいおとうさんの顔になっていきます。その女の子は、自分の家のベッドで眠っていたのでした。『目を覚ましたのかい。よかった、本当によかった』お父さんは本当に安心した様子で言いました。しかしその子の胸は、ぐっと苦しくなりました。何故ならあれだけがんばったのに、パンをお父さんとお母さんにあげることができなかったから。その子は悔しさのあまり、目に涙をためています。するとお父さんはびっくりしてその子に尋ねました。『どうしたんだい。どうして泣くんだい?』その子は瞳に涙をためたままこう応えました。『かってに家をでて、ごめんなさい。わたしね、おとうさんとおかあさんにパンを買ってくるつもりだったの。三つのパンを、三人で一緒にパンを食べようと思ったの! だけど、お腹をすかした羊飼いさんとお薬屋さんにね、一つずつあげちゃったの。でも一つ残ったから、それを持って帰ろうとしたのに……。強盗の人にね、とられちゃったの。ひどいんだよ、おとうさんが、どろぼうだなんて嘘をついて、わたし……』その子はそこまで言うと、目の涙をいっきにこぼしました。お父さんはそれを見て、その女の子の手を握って、優しい顔で言いました。『父さんは、もし、腹を減らした人達を無視してパンを持って帰ってきていたら、どんな気持ちになっていただろう。おまえがいい子で本当によかったと思っているよ』ってね。お父さんは、その子の手を離しました。そして両手を後ろにもっていって、何かを掴みました。お父さんの後ろにあったのは、一つのくしゃくしゃになった紙袋でした。あの残った一つのパンが入っている紙袋です。お父さんはパンを取り出しました。お父さんは強盗から娘を救っていたのでした。『母さん。温かいミルクを持ってきてくれ。三人でパンを食べようじゃないか』お父さんはキッチンにいるお母さんに言いました。その子は泣くのを止めました。おしまい」
 長かった話が終わるのとほぼ同時に、ゆっくり作業していたアースも最後のロープを結びおえた。彼は近くに置いてあった荷物の中から乾燥した牛の肉を取り出すと、それをナイフで二つに裂き、その片方を彼女に差し出した。これが二人の今晩の食事である。
 固い肉を奥歯で噛みながら顎を動かすアースは、暖をとるための焚き火を起こすため、昼間集めた小枝を円形に重ねて並べている。ミーナはその中心に右手を伸ばし、何かを招くような不思議な動きで指を擦り合わせた。彼はすぐに手をひっこめた。彼女が何をしようとしているのか知っているからだ。それは優しい焚き火の魔法である。指を一本一本広げたその掌から、真紅の花をかたどった炎が生み出された。その蔦が延びて、小枝に絡みつき、温かい炎をあげる。
 闇を裂く灯火のなかに、その温もりに手をあてる二人の目が合った。
「話、どうだった、アース」
「面白かったよ」
味気のない返事をされたものだが、ミーナは彼が自分に対して厭味を言ったりする性格ではない事を知っている。
「いや、もっと具体的な感想を言ってほしいんだけど」
そう言われて彼は腕を組んで考え出した。やはり、話が面白くなかったという意味の返事ではなかったらしい。あまり学がない彼は何を言おうか本当に悩んでいるようだ。その一生懸命な表情にミーナは内心笑ってしまった。
「なんか、話自体が子ども向けのような気がする……」
「この話は、元々童話のつもりで考えてたの。他に感想はない?」
「他は何も気にならないな。いい話じゃない。ミーナ、こんな事考えてるんだな。正直見直したよ」
「本当に? 本当にあとはいいと思うの?」
「ああ。いい話だと思うよ」
 彼の答えが聞き違いなどではないという事を確認して、ミーナは目を細めて口だけ笑うという変わった微笑み方をした。
「褒められると、嬉しいんだよね」
彼はまた、上手に人をおだてられないという事もミーナは知っている。きっと彼は本当に自分の話した物語を面白いと感じたのだろう。そう思うと、心なしか首を斜め下に向け、彼がくれた干し肉を噛んだ。口のなかに味が広がっていく。
「この話、実話なんだ」
 口のなかにあった物を飲み込むと、傾けていた首を正面の彼の顔に向けて言った。アースにはその表情は自分が彼女の話を褒めたときのものと変わっていないように見えた。つまり少し笑っていたのである。だからそのつもりで普段どおりに返事を返した。
「ミーナ、小さいころはそんなだったのか。小さいころは可愛い性格だったっていうのに今はこまっちゃくれた女に育っちゃってねぇ」
アースはその冗談に彼女らしいきつい反応を期待していたのだが、彼女は怒りもせず、笑いもせず、さっきまでの表情のままでいる。最初はあまり意識しなかったが、そんな彼女の表情を見ていると、それはどこか人付き合いの苦手な彼女が全く慣れていない人間に向ける、寂しそうな眼差しをごく親しいアースに感じさせた。
 そして彼はそのことに気付き、自分の発言を強く後悔した。二人が出会った時彼女がそうだった様に、彼女は今アースに対して疎外感を感じているのだ。そしてそれを表したくないが為に無理矢理態度を繕っていたのだ。何が彼女の心に刺さったのかは分からなかったが、その理由が自分の言ったことにあるということだけは理解した。
「そうね。私、小さかった頃は本当に何でも信じてたのよ」
彼女が怒りも笑いもしなかったのは、自分にそのどちらを感じていたのでもなく、ただ寂しさを感じていたからだ。アースはそれを確信した。自暴自棄気味の台詞がそれを表している。確信した途端に、彼の心は焦りのような感覚に支配された。
「でもね。あの話も、肝心なところはフィクションなの」
アースはもうその続きを聞きたくはなかった。だからといって「やめてくれ」と言う勇気もない。彼には黙って話を聞くというたった一つの道しか残されていないのである。どうしようもないという無力感の現れた彼の顔を見つめ、それを楽しんでいるかの様にミーナは目を細め、口だけ笑ったまま言った。
「本当はね。お父さん、助けにきてくれなかったの。それどころか、腹を空かした強盗さんの言った事は本当でね」
 その言葉にアースは彼女から目をそらさずにいられなかった。ミーナもそんな彼の態度に対してきつく瞳を閉じてしまった。地面の一点を見つめるアースの目には、優しくオレンジ色の光を放つ灯火が輝いている。
 魔法の力とは人の心を映し出すものなのだろうか。さっきまで軽快な音をたてて闇を照らしていた灯火が小さくなっていく。今や炭のなかに残った小さな火種だけでは、暗闇に相手の表情を読み取ることはできない。それ以前に二人は互いに相手の顔を見てその気持ちを確かめようとしていないのだ。それは長い時間ではなかった筈だ。しかし二人は凍りつく夜空の下、黙ったままそうしていたのだ。
 一瞬のうちに闇は輝きによって払われた。アースが顔をあげると、そこでは温かい焚き火の炎が以前のように燃えている。その向こう側に浮かぶミーナの顔は以前のそれとは違い、焚き火以上に見事に再生した表情を宿らせている。アースはそれを見て安心したが、当然疑問も感じた。一体彼女のなかで何があったのだろうか。それについて考えて結論を出す前に彼女は言葉を発しはじめた。
「実際には、強盗に殴られた後ずっと雪に体を冷やされて、翌朝誰かに拾われて病院に持っていかれたそうなの。アースの言った通り、救いの無い話よね」
彼女はまた笑った。その笑顔がアースには辛かった。
「その時の私は、全身凍傷でぐちゃぐちゃになって、肺炎まで患ってね。それでもお父さんもお母さんも病院になんて来られるわけないじゃない。それをいつも両親を信じてた自分に対する裏切りって思った私は、そのおかげでこんな性格になっちゃってね。本当に、全部アースの言う通りよ」
 確かに彼女は本当に笑っている。以前のそれと違い、その笑顔は本物だ。だが何故今度はこうも明るくなったのか、アースには分からない。ただそれが彼の胸を締めつけるだけだ。
「あの話もそうなの。自分のなかに理想の両親と、どんなに辛い事があっても、最後には必ずうまくいくっていう、都合のいい世界が欲しかっただけなの」
 彼女は長い間腰座っていた岩から腰を上げた。そして夜空に向かって二本の腕を伸ばして、うーん、という小動物の唸り声のような声とともに大きく背伸びをした。ついでに首までぐるりと回してみせる。一通りかるく身体をほぐすと、彼女は立ったまま焚き火に手をあてて彼に話を続けた。
「私は今はもう虚像を造らなくてもお父さんもお母さんも信じられるようになったわ。アース、あんなくだらない話で簡単に感動したりしないでね。あの話自体、本当に馬鹿げたものなんだから」
 そう言い夜風の冷たさに突然体を震わせ、自分の体を抱くように両腕をつかんだ。その見た目に可愛らしい動きにアースは彼女の表情の移り変わりを見ていた。奥歯をかみしめて夜風の冷たさを我慢すると、その顔はゆっくりと悲しみのものへと変化していったのだった。残念ながらこれも作り物ではなく、本当の表情だということを彼は理解していた。
「つまらない話だって言ってくれると思ってたのに……」
 風に紛れてしまうくらいに小さく呟き、彼女はアースのすぐ横を通って彼が建てたテントの方へと歩いていった。黙ったまま自分の横を通過する彼女に対して彼の胸の内で何かが動きだした。彼女が眠ってしまう前に言っておきたい事があったのだが、今度もまた彼女のほうが先にしゃべってしまった。
「凍傷のほうは傷をふさぐ魔法のおかげで完全回復したんだけど、ぜんそく持ちになっちゃったの。寒いの苦手だから先に寝るよ。火の番かわりたくなったら起こしてね。今晩はいろいろありがとう。テント建ててもらって、愚痴まで聞いてもらって。本当にありがとうね。おやすみ」
 明るい口調で言いたいことだけ言い、彼女はすぐにテントに入ってしまった。アースにも言いたい事があったのだが、何をどう言うべきか自分でも決まりきらなかったので、眠りの床に就こうとする彼女を止める事は出来なかった。
 独りきりになった後、見上げるとそこには深い闇夜が広がっていた。ただ深いだけの黒い空にアースは胸を圧迫されているようだった。星と月だけは明るく輝いていたが、それらはちっとも彼の心に干渉してくることはなかった。自分を信頼してくれている人を傷つけてしまった彼には、愚か者を笑っているようにさえ見えた。
 彼女が心を動かされた夜空はアースの上にはなかった。