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アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

村上春樹『ノルウェイの森』、講談社、1987

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

 立命PENクラブのマームー氏(仮称)主催で行われた村上春樹読書会に参加すべく再読…できませんでした、時間なくて。BOOK1stで文庫本上下巻を買って会に持参し、話しながらパラパラめくっただけ。まあ浪人時代に読んでいたので(何年前だ)、みんなの話についていくことはできました。忘れていたところも多かったけど…レズっ子とか。
 会自体は各参加者の感想を発表した後、主催者の感じた作品に対する疑問などに対して参加者全員で語り合うという形を取りました。また主催者から作品の読み方に関して一風変わった方法が提示されたりもしました。個人的には賛同しかねる内容でしたが…
 また主催者が本書を作者の半自伝的物語だと位置づけていたのは個人的にはかなり新しい視点だなと思いました。村上春樹が自伝で何かを語るタイプの作者とは思えなかったので。


 会の反省としては下記の通り。
・レジュメがwikiからの引用だらけだった。他のコピーも研究所やファンサイトからの拝借で、質問項目以外は全てコピーだった。
 文章や図など、ちゃんとレジュメを自分で作ろう。
・しかもwikiも参考文献も引用元が書かれておらず、発表者自作の原稿と誤解される仕様だった。
 引用元は引用箇所と文末に明記しよう。文末の場合は作者名、出版社、発行年を添えて。
・自伝という位置づけでありながら作者の遍歴に関しての説明が少なかった。また作者の他の作品と密接な関係を持つ作品の発表でありながら、他作品に関する言及があまりにも少なかった。
 作家論についてくらいはまとめておこう。
・発表者の前提である「半自伝」という設定が他の参加者と実感として共有しにくく、しかもその後の読みの方法の主張とやや矛盾していた。
 主張と方法論は一貫させよう。
・発表者の作品に対する/関する主張が皆無だった。読み方の方法論も分析本からの受け売りだった。
 発表者なりの主張や視点を用意しよう。


 …とまあこんな感じだったわけですが、発表者はまだ1回生でゼミもやってないはずなので仕方ないかなあという気はしました。どうせしばらくしたらゼミや講義でも発表の仕方は求められるので、早いうちに身につけておきましょう。曲がりなりにも文芸サークルなんだし。
 私は同じ回生の時に同じ作者の『風の歌を聴け』で似たような読書会の発表をやったことがあったし作家自体もかなり好きなのでかなり気負って参加したのですが(なら読んでこいよという話なのですが)、正直拍子抜けでした。ここで発表者には罰として再度発表を命じますので、また何か発表してください。というか、しなさい。つーかしろ。お前もファンなんだろうがファンなめんな。濃度濃いのもってこい。


 とはいえいろんな人の読みが聞けたし(飛び入りもあった)再読するいい機会にもなったので、主催者には素直に感謝しています。そういうわけなので罰でなくてもまたがんばってね。


 以下個人的なあれそれ。感想だけではない上にネタバレ含有なので興味のある方のみ。


 僕が最初にこの本を読んだのは浪人生活をしていた19歳の夏で、村上春樹の小説を読むのは『1973年のピンボール』に続いて二冊目だった。『1973年のピンボール』は正直なところ僕の趣味には合わず作者にもそれほど興味を持てなかったのだけど、とにかく何か読みたい一心で高校の図書館の作者名「む」の棚に並ぶ全集の中からこの小説の収められた巻を引っ張り出したのだった。その時僕はちょっとしたごたごたに巻き込まれていて(それは情けないことに僕自身が蒔いた種が発芽したという類のごたごただった)、近づいていた二度目の大学入試のこともあって精神的にひどく参っていた。僕は傷つけ欺かれた挙句、抗いがたい大きな力で大切な人たちの前から消えることを余儀なくされた。その代わり不思議な女性との不思議な再会を果たしたり、全く見知らぬ人と何かの縁で急に交友することにもなった。そしてその全員が半年以内に僕の前からきれいさっぱりいなくなってしまった。
 とにかく僕は人生の岐路で右往左往していて、おまけに目の前の現実はぐにゃりと歪んでいた。どこへ進めばいいかさっぱり分からなかった。そんな時にこの本を手に取ったのだ。


 (ここまではギャグ。めんどいので以下普通の文に戻します。)


 というわけで、浪人時代プライベートで結構ぐんにゃりしていた時に読んだ本で、そういう意味で思い入れのある一冊なのでした。私はアニメでも小説でも作品の登場人物に共感することは皆無といっていいほど無いのだけど、この作品には例外的に共感を覚えたし、泣けるとかそういう意味とはちょっと違った震えのようなものを体感しました。当時読み終えた時に「ワタナベくんにこんな辛いことがあるなら、私の悩みはもういいや」と思ったのを今でも覚えています。一種のショック療法ですよ。


 で、今回再読してみて実感したのは、意外にも「その一種の感動が前に読んだ時より大きくなっている気がする」ということでした。正直二度目の読みだし私も最初に読んだ時から結構成長しているわけでもっと鈍感な感想が出るかなと思っていたのですが、むしろ逆に昔は気に留まらなかった文章の余韻や登場人物の生き様などにひどく揺さぶられている自分に気付きました…というのはいささか派手な表現に思える人もいると思うけど、実際にそう感じました。一つ一つの共感が全体のテーマを押し出して、読者に圧倒的な喪失感を与えている、というかなんというか…
 最初に読んだ時も衝撃的だったので「私にとってのベスト小説」の選択肢に必ず入ってくる作品ではあったのですが、今回の読書会で「ああ、自分にとって『ノルウェイの森』はかなり特別な存在だったんだな」と認識を新たにさせられました。そういう意味で個人的にはすごく意味のある読書会になったし、発表者のマームーにはすごく感謝しています。発表自体は散々だったけどな。


 本当はこの作品に関して思ったこと感じたことをもっともっと書きたいのですが、何分かなり特別な存在なのでなかなかうまく筆が運びません。実際私自身この作品に関しては文章で評論したりするよりはむしろ口で語りたいので、もしこの本に関する思い入れをいくらでも聞きたいという変わった人がいましたら私までご一報ください。「『ノルウェイの森』どうよ?」と言ってくだされば、たぶん朝まで話します。比喩ではなく。