LM314V21

アニメや特撮やゲームやフィギュアの他、いしじまえいわの日記など関する気ままなブログです。

山本岳志「現代日本文学と萌え」、立命館人間科学研究No.10、2005

 ゆーじん氏のサイトで興味深い論文タイトルを発見したので、ここでも紹介させていただきます。情報サンキュウです。>ゆーじん氏
 内容は、探偵小説の発展と世界大戦と萌えをリンクして論じたものです。その視点は面白いなと思ったものの個人的には不満が多かったので、その辺を中心に以下感想を書きます。


 まず、言葉の定義があいまいなままなのが一番困りました。萌えについてもそうですが、そもそも小説とは何か、物語とは何か、キャラクターという語は登場人物という言葉と同義なのか否か、そして個人的には文学と芸術はどのような関係があるのか、芸術とは何なのか…文学畑の方はこういうことは前提があって論文では書かないものなのかもしれないけど、書いてくれないと私には分かりませんでした。例えば小説の定義がないと、文中に出てくる「大説」という造語の意味も語れない気がするのですが。
 言葉の意味が書かれていてもそれが間違っていたり古かったりというのも困りものでした。「萌え」という言葉の由来について某エロゲー会社の名前が紹介されていましたが、そんな説初めて見ました。『恐竜惑星』説、セーラーサターン説、マイコン時代のご誤入力説などが有力だというのが定説かと。また、やおいについて説明しているのにボーイズラブについての記述がないのは「現代」文学を語る上ではどうかと思います。
 そして「人をパーツのように見る視線が世界大戦→探偵小説の過程で成立した」「探偵小説の視線と萌えの視線は似ており、それらが合流した」という論の最後に「これからの文学はどうなってしまうの?」みたいな感じで終わっているのがどうかと思いました。萌えと合流した文学をどのように評価すべきか、既存の価値尺度を変えるべきなのか、その運用を変えるべきなのか、もしくは何も変える必要なくこれまでの方法で評価可能なのか、それこそ一番に論じるべきなのでは? この論文だけだと探偵小説というスジを通した年表というか、カタログのように思えました。まさにデータベース的だと思われます。


 いろいろ書きましたが、このように論集に発表していること自体はかなり見習うべきです。私も書いて載せてから言え、って感じです。励みになったという点ですごくありがたい論でした。
 感想や指摘などありましたらコメント欄にて。私の読み違えもありましょうから…